死ぬには、もってこいの日だ③

 

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man ray


蛇に噛まれた夢を見た。ベッドから飛び上がり、激しく落ちた。脳が揺れたせいか、2、3日偏頭痛がした。「死ぬには、もってこいの日だ」の余波だろうか。

 

ある人から「どうして、ADのわがままを許したのか」というもっともな質問をされた。私が、ADのわがままの被害者と映っていたようなので、誤解を解きたい。

 

ADのわがままの先にあるアイデアを、私は求めていた。ADのわがまま、狂気は問題ではなく、アイデアを得るための通過点として覚悟していた。

 

人を傷つけようが、マン・レイを一心不乱に追いかけるADに、クオリティのある”心象風景の時計”を追いかけている姿を見ていた。

 

むしろ、クライアントとの距離感に苦慮していた。普通なら、クライアントの側にいて、生活者の意見を解釈しながら進めればいい。しかし、今回は「今までにないもの」を求められている。しかし、クライアントの担当者には、形状記憶のテンプレートがあり、ともすれば「今までのもの」を求めていた。東へ行きながら、西へも行けと言われていた。「死ぬには、もってこいの日」ではなく、うかっかりしていると、無駄死にする日になった。

 

「ちょっと、大人になって」とか「「落とし所を考える」ことはできたが、クライアントのマウンティング欲求を、拒否した。これが、私の欠陥、失敗、犯罪だった。

 

担当営業に懇願されるか、外されるか、何度も経験したパターンを繰り返していた。しかし、日本では、何故”クライアントは神様”なのか。

 

欧米の広告会社は、売上アップなどの広告効果を約束する数値契約を結んで、制作にかかる。広告会社は、モニター調査のエビデンスを根拠に、生活者の需要を喚起する広告づくりをする。しかも、一業種一社の広告会社とクライアントの利害が一致し、フィフティ・フィフティの協働関係ができあがる。

 

言わずもながのことだが、クライアントと広告会社の信頼関係が、良質の広告を生んでいる。他方、制作チームが良いのに、悪い広告が生まれる理由は、2つ。クライアントのマウンティングと、社内ヒエラルキーだと思う。「俺の言うことを聞け」と「あの人の言うことを聞け」の二言が、全ての景色を悪くしている。

 

信頼関係にないクライアントのわがままと比べれば、ADのわがままなんて、かわいいもんだ。

 

 ーーーーーーーー                  ※事実に基づいたフィクションです

アメリカでは「俺の言うことを聞け」のエピソードを映画にしている。'60年代の広告業界を描いたTVシリーズの”マッド・マン(MAD MEN)”で描かれていた。

 

しかし、”俺の言うことを聞かなかった”没広告が、60年後に実際に蘇って、再現される珍事があった。

 

下のビデオでは、主役のプレゼンターが、フレンチフライやハンバーガーの絵を見せて「ここに必要なコピーは、とてもシンプルです。"PASS THE HEINZ(ハインツを回して)"というコピーでしょ」と言って、ポスターのプレをする。

 

ところが、クライアントは「いや、ハインツ・ケチャップと書いてないと」「ケチャップのボトルがあれば、わかりやすくなる」と抵抗する。「いや、今や、”ハインツ”と言えば分かります」と反論するが、没。

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このエピソードに目をつけて、2020年に、街中でポスター展開。報道各社が、映画を観ていなかった人向けに解説し、興味を喚起。55億円のメディア掲載効果を獲得したバイラルなキャンペーンになった。

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良い広告が、良い広告として評価されれば、次の良い広告を生む。この循環を望みたい。

二言のキラーワードがなくなって、良い広告が「生きるには、もってこいの日」になってほしい。 

 

 

 

 

 

 

 

死ぬには、もってこいの日だ②

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man ray

人が生きていくプロセスは、実はカウントダウンできる。しかし、終わりの始まりなんて、誰も考えない。イタリアの青い空のように、みんな明るく生きている。私もそう振る舞った。

 

「雑誌広告は、いろんな色があって、眩しくないですか。こういうのを変えたいな」と言いつつ、マン・レイとかサラ・ムーンのモノクロームの写真集を見ては、ため息。ADの至福の苦しみを味わっていた。

 

先達の二人の編み出した「ソラリゼーション(現像中のフィルムに光を照射して変色させる)」とか「レイヨグラフ(印画紙の上に被写体を置いて感光させる)」技法、あるいは「像のシルエットをダブらせて、オーラをつくるにはどうすればいいのか」ADは唸っていた。

 

カメラマンとの打ち合わせが始まり、クライアントに提出したラフを見せながら「こんな感じじゃないものを狙いたい」「商品がダサいから、はっきり見せたくない」。マン・レイの映像を示しながら「現場のアドリブで生まれる画像が欲しい」と、ADが言った。

 

出席したカメラマンやスタイリストにとって「女性の腕時計の撮影と聞いていたけど、何も決まっていない」という印象しか残らなかった。AD自身も決めかねている。誰にも分からなかった、見えてこなかった。

 

しばらく話すうちに”事前に計算できない結果を求めている”らしいと、おぼろげに分かってきた。”アドリブ”がキイワードだった。変化する自然光を生かすことで、幻想的でシュールなものを表現したい。写実ではなく、心象イメージというのが分かった。

 

ADの要望に応えるのは、自然光の変化を活かしながら撮影する必要がある。スタジオではなく、ロケに出るしかない。

 

10日間のロケ予算の増額を掛け合った。時計が衣服に包まれてあったり、斜光の部屋のテーブルに置いてある時計からは、てっきり都内スタジオだと想像していたクライアント、大いに驚く。もはや、呆れ返っていた。

 

数日後、伊豆半島一周のマイクロバスが用意された。乗り心地の悪いバスの座席に座りながら、これからどこへ向かって行くのか、どれだけの成果を得られるのか、不安だった。乗って行くというより、乗せられてどこかへ行く、という感じだった。車窓は光が眩しく、白っぽいい風景が流れていた

 

伊豆半島に入り、小さな植物園を通り過ぎようとした時、「みなさん、観ていきましょう」ADから提案があった。急ぐ旅ではなし、みんなバスから降りた。

 

ADは、アフリカロケで、道端で拾い集めた30センチくらいの巨大な枝豆とか、種子や木の実を日本に持ち帰り、百貨店のキャンペーンで素晴らしいPOPにした。この手があった。

 

「いいなあ、この貝殻。南の海底にいたんだろうな」。直径80cmくらいのハマグリのような巨大な貝を、ADが笑顔で両手に抱えていた。「こういう偶然の出会いがいいんですよ」とADが言ったので、めどもなく、撮影の小道具にリースすることになった。

 

カメラマンが手配した下田プリンスに到着。ホテル前の白い浜辺での撮影許可を申請して、1週間のロケが始まった。

 

翌朝、ホテル前の砂浜に咲く花に、飛んで来るハチを見て、もしかしてと、悪い予感がした。同時に、ADが「あのハチを撮影したい。生きたまま捕まえてください」と命令を発した。透明のプラスティックのゴミ袋をハチにかぶせて、あたふたと捕獲。ADが、ハチの首にまち針を刺して、弱ったハチを貝殻の上の時計の上に置いて撮影。

 

「羽がもっと開いて欲しいな」と不満だったが、捕獲係の私も、カメラマンも、聞く耳を持っていなかった。

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 南洋の海底の大きな貝は「貝の表面が天然の滑らかさで、いいな〜。よく見ると、フレスコ画の表面のようで、ニュアンスがあっていい」ADのお気に入りだった。その貝殻に時計を置いたが、あまりイメージが湧いてこない。ADは、砂浜のアリを数匹すくって来て、貝殻の上に放った。しかし、アリの動きがよくない。ADは、アリの餌になっているウジ虫を拾ってきて、貝殻に投げ込んで、アリを向かわせて、アリの演技指導ができた。シャッター音が響いた。

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 スタイリストが持ち込んだ洋書や、ホテルの朝食に出たキウイフルーツとか、偶然のマッチングを求めてシャッターを切った。しかし、これらの普通の小道具では求めているマチュアな感じが出ない。映像画素を粗して、ニュアンスをつけた。

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ADは、不良娘に罰を与えるように、商品をいじめ抜いた。掲載後「商品がわかりづらいと、営業からすごいクレームが入っている」と、非難された。翌月には少し鮮明に商品が写っているものを掲載した。警告→修正、これを繰り返した。もはや、こちらは確信犯だ。

 

淡い逆光のテーブルの上のグラス、そばに時計がある。そんな画角で、カメラマンは撮影していた。ADは気に入らなかった。時計が何気に置かれた感じを作りたかった。突然、ADは時計をつまみ出し、時計を1、2度投げ込んで、何気さをつくろうとした。

 

シャッターを切っている最中にもかかわらず、カメラマンの許可も得ず、ADが勝手な動きをした。カメラマンの中で、何かが切れた。砂を蹴って現場を離れた。

 

ADは、静物撮影に限界を感じていた。カメラマンに頼み込み、東京からモデルを急遽呼んで、腕時計をしたモデル撮影に切り変えた。

 

チェコから来たモデルは、悲しげでニュアンスがあり、マチュアな二十歳のイメージだった。途中で雨が降ってきて、傘をさしての撮影になった日があったが、たたずんだ彼女の目から、なぜか涙が溢れてきた。感極まった感じで美しかった。きっと、彼女には、雨の日の悲しい思い出があったのだろう。

 

ADは、海の光にも飽きてきた。そして、彼女をもう少し撮影したいと思った。淡い光を求めて、富士山の五合目に移動した。時計をした彼女の腕を、岩肌に立てかけた鏡に映してレンズに収めた。淡い空が映り込んで、美しいカットに仕上がった。東京のラボからフィルムを取り寄せ、浜辺と山麓で、ほぼ同数の膨大なフィルムを使い、10日間の撮影が終了した。

 

クライアントに報告に行った。状況が一変していた。「いいものが出来れば、テレビでもなんでもやりましょう」と言っていたクライアントから笑顔が消えていた。想像するに、全国の時計店からの受注の結果がすこぶる悪かったようだ。このブランドは、すでに絶滅危惧種になっていた。僅か、雑誌アンアン見開き、1年間の掲載のみが提示された。

 

後日、膨大な現像カットが、カメラマンの事務所から、ADの事務所に運び込まれた。静物と人物のカットをどう組み合わせるか」ADから質問があった。「静物だけのシリーズにしましょう。人物は邪魔だと思います」と言って決まった。

 

コピーは、ビジュアルでは伝えきれていないので、新社会人へのメッセージとして、ちょっと大人になったターゲットの気持ちに添って書いた「さいきん、深い時間を知った。」と、フリーのコピーライターにお願いした「いい時計は、目に匂う。」の2点を提示した。

 

アバンギャルドなイメージは、絵で伝わっている。コピーで”ターゲットの気分”を添えるか、ポップなライバルに勝つための”クオリティ感”か。品位を感じてもらえる「いい時計は、目に匂う」を推薦した。心情表現には、ハチやアリの絵が邪魔していた。

 

マン・レイの幻影にうなされ、かき乱された10日間は終わった。パズルは全て埋まった。しかし、ADが求めていたものは、常にその先にある、彼が誰にも説明できないものだと思う。

 

終売に近い商品の悲しい広告の雑誌掲載が始まり1年後には、大変名誉なADCのクラブ賞に選ばれた。授賞式にクライアントを誘ったら、「別にうちが行く必要ないでしょう」と冷たく言われた。カメラマンも会場では見かけなかった。ADを讃える気持ちから、制作者リストから名前を外すよう希望した私も、パーティの一参加者に過ぎなかった。

 

最高の賞を獲った広告に心があるなら、親や親戚から反対されて結婚したふたりのような疎外感を味わっていただろう。「死ぬには、もってこいの日だ」と広告も思っていたに違いない。

 

                         ※事実に基づくフィクションです

 

 

 

 

 

 

 

 

死ぬには、もってこいの日だ①

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人と人が出会って、物語をつくる。それは、ヒリヒリした思い出になることもある。日記につけたくない展開だった。

 

「あなたを、盗人と思って付き合います」初対面のADが、ナイフのような言葉を突き刺してきた。「あなたの脳から全てのイメージを盗み出してやる」私は言わなかったが、思った。なんと失礼な人だ。信頼関係がないと、うまくいかないからと、背を向けることもできた。

 

しかし、今回の仕事は、言葉でなく絵の強い力が必要だと思っていた。声でなく、身体の大きな動きで状況を一変させたかった。だから、ADの事務所に留まった。

 

そして、大きな覚悟もポケットに入れる必要があった。”写真には空気が映る”ということを、ADは信じていた。当時アーヴィング・ペンにインスパイアされ、アフリカのロケで大きなテントを張って撮影し、”アフリカの背景”を頑なに拒否し、恵比寿のスタジオで撮ったと言われても信じただろうポスターを制作した。撮影に立ち会っていたクライアント担当者の責任問題になり、左遷されたと聞いた。

 

 ADの事務所では、スタッフ・デザイナーの些細なミスに、ヒステリックに怒鳴っていた。タモリ倶楽部の”ヒップダンス”を考えた人とは思えないギャップだった。

 

どうして、怒鳴る。瞬間湯沸かし器のように、すぐ沸点に達する。静かに話してミスを正す方法もある。ADは、言葉を使うのが苦手な人ではないか。だから、”絵の世界”に入り込んでいったのではないか。初対面の人を邪推した。

 

そういえば、こういう激情型のカメラマンがいたことを思い出す。彼も言葉で殴りつけた。大きな音がすると思ったら、トレペの筒でボカーンと殴りつけていた。現場は静まりかえり、撮影の新たな注文を拒絶する緊迫感があった。そして、撮影が終わってしまう(という狙いだったのだろうか)。

 

これからは、この凶器の人を、より研ぎ澄ます砥石になるのが仕事になった。自分の誇りもすり減ることを覚悟しなければならなかった。

 

広告は、クライアントにお金を出してもらって初めて成立するメディアだ。そのためには、こういうのやりたいというものを、絵や写真でクライアントに示す。承諾してもらい、お金を出してもらう。しかし、ADは「私のラフは、へのへのもへじですよ」と言って、頑なに拒否した。

 

ADが、クライアントに約束することを渋ったのは、「今までにない表現をしたい」という意欲から発していたようだ。

 

「作ったらイメージが固定されてしまう。スポンサーにそれを期待されると困る。いいものを作るために、撮影現場でのアドリブとクリエイティブを縛りをつけないで欲しい」。もっともらしく聞こえるが、無形の制作物に投資するクライアントにとってみれば、ADのわがままでしかない。

 

「私は、ウイスキー会社のCMで東欧の機関車を撮影した時、大きな操車場の現場の1本の電信柱が邪魔だったので、一晩で撤去させましたよ」もはや、ADのわがまま自慢でしかない。

 

勉強嫌いの子供に、夏休みの宿題を無理やりやらせた気分だった。カンプを3点ほど制作してもらい、クライアントに提示した。クライアントは気に入ってくれた。「でも、これはあくまでイメージです。撮影現場で色々変えたりするノリしろをください」と私は言った。そして、実際の広告表現は、クライアントが初めて見る表現だった。

 

広告商品についてADに説明した「商品は、20代女性の腕時計です。3万円くらいの価格帯なので、本人たちは買えない。新社会人になったり、大学入学時のお祝いに、親やお爺ちゃんに買ってもらう」「だから、贈る方が、安心して贈れる無難で、大人しいデザインになっていたようです。”お嬢様時計”です」。

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「しかし、贈られる本人たちも、本当は気に入ってなかった。そして、スイスのチープで楽しいデザインの腕時計が、彼女たちの気持ちを鷲掴みにして、売上ダウン」「クライアントは、過去の広告イメージにとらわれないで、完全に払拭する広告にして欲しいと要望しています」。

 

「今までの”門限は夕方6時の、自由が丘のお嬢様”ではなく、”渋谷のバーカウンターにいる女性の腕”をイメージにしたい」と目標を言った。

 

要は、商品をモデルチェンジするわけではなく、広告をモデルチェンジする。誰も騙されないだろうと、クライアントも分かっている。選択肢は、コインの裏表しかなかった。売れなくなった商品広告をやるか、やらないか。とりあえずやらない選択肢は選ばなかった。「思い切った表現」が、唯一のソルーションだった。が、答えになっていなかった。

 

「今までにない広告表現を求めたのが依頼する理由」だと、ADを鼓舞した。死ぬまで吸ってますよというマルボローをくゆらせながら、彼は静かに聞いていた。

 

商品のあるブランド広告をつくろうとしている。しかし、トンネルの先にあるはずの光は、まぼろしかも知れなかった。しかも、広告が良くなければ、クライアントは買い取らない。

 

もっと悪いことがある。広告が掲載される前に、商品の売れ行きが悪ければ、広告も終わる。(私に任せていた言うと聞こえはいいが)担当営業も、私から距離を置き始めていたことからも分かった。

 

今回は、谷底に張ったタイトロープの上を歩く切符をもらっただけだった。「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」という池田澄子の俳句がふと浮かんだ。

 

貧乏くじを引いた。しかし、従来の担当広告会社を切る大変な過程を経て、私にチャンスをくれたクライアント担当者に感謝した。

 

これだけ逆風が吹いてれば、逆に怖いものなしだ。アメリカ原住民が不利な戦いに臨む時に「今日は、死ぬにはもってこいの日だ」と言って、自分たちを鼓舞していたと聞く。このシチュエーションに、ぴったりの言葉だった。

 

能天気に言えば、表現の幅は、無限大だった。ある意味、贅沢な悩みとADは戦う事になる。

 

終わりの始まりは、静かだった。

(→次号へ)                     ※事実に基づくフィクションです

 

 

 

 

 

広告人とケンカした男

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オリビエーロ・トスカーニ

最初に、広告界に喧嘩を売った男、ご存知、オリビエーロ・トスカーニの言葉を引用したい。

 

「今ある広告は、”死体”だ。安らかに眠る死者を見た者は、”まるで生きているみたいだ。微笑んでいるようじゃないか”と言う。広告にも同じようなことが言える。広告は死んでいる。けれど、いつも微笑みかけている」。

 

広告人は、どんな罪を犯したのか。「巨額資金浪費の罪」「知に対する罪」「創造に対する罪」などで、広告は機能不全になったと、彼は糾弾する。

 

広告コミュニケーションの戦略家たちは「広告は幸せを売る」と言うが、幸せとはそもそも売り買いできるものだろうかと、彼はトドメを刺す。

 

では、そんな彼が、広告界に対して、どういう広告を叩きつけたのか。

 

「世界で最も成功した広告キャンペーンは、キリスト教だ」という仮説からスタートした。

 

「汝、人を愛せよ」という教えで、十字架をシンボルマークにして、「神の国」を最終商品にして、世界を啓発したキャンペーンだという。広告のボディコピーは、聖書に書かれ、「人の不幸」を描いたネガティブ・アプローチで、キリスト教は成功したと、彼は解釈した。

 

彼は、この解釈をベネトンの広告('83-01)に持ち込んだ。紛争や貧困や差別などに関する人々の「無関心」に戦いを挑んだ。それが「平和」をもたらし、人々を「幸せにする広告」の目的を達成するスキームだった。

 

センセーショナルで、スキャンダラスなテーマ(人種差別、戦争、死刑、エイズ、神父の婚姻など)を、彼は数多く取り上げていた。目立たなくても企業良心が伝わる「社会派広告」とは真逆である。誤解を恐れずに言えば「炎上マーケティング」を意識していたと思われる。

 

そして、トスカーニ流に、社会問題をデザインしていた。例えば、肌の色で人種差別をする無意味さを、心臓をえぐり出して表現し、ベネトンの企業としての生き方を訴求した。

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広告業界の反応はどうだったか。人の悲しみ、苦しみ、哀れさ、残酷さを捉えるネガティブ・アプローチに対して「彼は、人の不幸と死体を利用して、セーターを売っている」と非難された。イタリアのカトリック教会は「ベネトンは、悲劇的で、メロドラマ仕立てのお涙頂戴の写真で大衆をイメージ操作している」と批判した。

 

では、ここからは、2001年に終わった広告が、マーケティング4.0(ビッグデータに導かれるマーケティング)以降に、どんな価値があるのか考えたい。

 

ベネトンのキャンペーンは、とてもユニークな「ジャーナリスティック・アド」というジャンルに分けられる。新聞の記事を読むように、ベネトンの広告を見て、啓発され、ブランド良心を受け止めてもらおうという仕組みだと解釈する。

 

トスカーニが、社会問題をデザインしたベネトンの広告は、IQが高く、普遍性を欠いているかも知れない。観る人を選んでいる敷居の高い広告とも言える。

 

SNS時代のデータ・マーケティングに劣勢を強いられる制作現場で、ベネトンの広告は、どう映るだろうか。好意的に捉えれば、抑制されていた制作者の主観を目覚めさせ、ひらめきを解き放ち、独創的な広告表現の可能性を生むかも知れない。

 

また、最終的に、ブランドを好きになってもらえば、広告で商品を出さなくても、商品を買ってもらえる。値引きしないでも、選んでもらえる。ブランド広告の強みを発揮するだろう。

 

一方、致命的なアキレス腱がある。ベネトンの広告コンテンツは、フィクションよりリアル、クリエイティブよりドキュメンタリーが優先する。このような報道事実を上書きした表現は、Youtubeツイッター情報が氾濫する今日では、既視感が強く、インパクトが弱いと思われる。

  

また、一般論で言えば、広告は、説得の美学である。一人のアートディレクターの主観では、説得の客観性を担保できない。広範なターゲットを巻き込めないと指摘されるだろう。

 

功罪合い半ばするが「善は悪を駆逐しない。悪は善を駆逐しない。しかし、情熱は消極を駆逐する」このビル・バーンバックの言葉に、トスカーニの立ち位置と、果たした役割を感じる。

 

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トスカーニの制作した18年間のキャンペーンを支援したのが、広告主のルチアーノ・ベネトンだった。「ウチの販売部長たちの言いなりになるな。君は自分の直感と創造力を信じろ。もし、販売部長の言うことを聞いていたら、明日には、マーケティングの人間たちは、君にどこにカメラを置くべきかとか、黒人は黒すぎるだの、白人は白すぎるだのと言い出すに決まっている。自分の信じる通りにやればいい」。

 

1989年、人種の混淆をテーマに、黒人の女性が、白人の赤ん坊に授乳しているポスターを制作した。アパルトヘイトが存続していた南アフリカに送ったところ、案の定、代理店から絵の差し替えを迫られた。しかし、取引先を失くしても、ベネトンはそれを拒み、トスカーニを守った。後の大統領、ネルソン・マンデラに、二人は招待された。

 

トスカーニには「四角い穴に丸い鋲」を打とうとした異端児をどこかに感じる。一方、ベネトンには、芸術家を育んだルネッサンスメディチ家のような、パトロン精神を見る。

 

広告表現の現代のルネッサンス(復興)に必要なのは、ジョブズのような自己目標のために手段を問わない狂信的なマキャベリズムか、ベネトンのような創造性を羽ばたかせる寛容さか。

 

きっと、答えは一つではない。しかし、確実に言えることは、ひとりの人間が、自我を戦わせる情熱をどこまで持ち続けられるか。そのお手本は、トスカーニが見せてくれている。

 

 

※参考資料:

オリービエーロ・トスカーニ「広告は私たちに微笑みかける死体」紀伊国屋書店

 

 

吠える社員

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ワクチン接種が進んだアメリカでは、職場復帰が始まっている。コロナ前後で変わったことはたくさんある。その一つは、ペットを飼った人が増えた。そして、閉鎖的な自宅作業で、ペットに救われたという人が多いと言う。

 

1年半のコロナ禍に、1,260万世帯が、ペットを飼った。その中には、ペットと離れたくないという思いを持つ人が大勢いるようだ。「ペット許可の職場環境」をつくってくれないのなら、78%が転職を考えるという調査結果が出ている。

 

すでに、ペット・フレンドリーな企業は、全米で11%。その代表格が、GoogleAmazon。大資本ではないその他企業の管理職に、この判断が突きつけられた。一部リモートワークの継続で、スペースには余裕が生まれた。59%が、ペット・フレンドリーな環境を整えつつある。

 

また、人に噛み付くとか、ペット同士が噛みつき合うなどの不測事故への保険とか、動物アレルギーの社員のことも考えなくてはならない。パンデミック前には、こんなことに悩まずに済んでいた。しかし、優秀な社員のメンタル・ヘルスケアの一環として、また、人材確保のための投資でもある。日本ではどうだろうかと、ふと考える。             (Time誌7/7/2021)

 

ペットが家に来た最初の日を、思い出させてくれる。875万回視聴されたフィルム、

4分もあるのでご留意を、人を喜ばせる喜びを感じてください:

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(ペットではないけれど)餌をいつもくれていたお婆さんの姿が数日見えないので、お見舞いに来たインドのサル(298,000視聴):

www.youtube.com

 

 

 

                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し狂ってないと、生きられない③

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Jobs' Porshe 911


Think Differentのキャンペーンは、4人の著作者がいた。

・キャッチフレーズとビジュアルは、クレイグ・タニモト

・Seal"Crazy"「少し狂っていないと、生き残れない」にインスパイアされた

コンセプトは、リー・クロウ

・映画「いまを、生きる」にインスパイアされたボディコピー・イメージは、

ロブ・シルタネン

・ボディコピーは、ケン・セガール

 

(ウイキペディアには)上記4人のクレジットはない:

・原案:スティーブ・ジョブズ

・製作総指揮:スティーブ・ジョブズ

 

 ジョブズと一戦を交えたシルタネンは、ジョブズは一言では言い表せない「芸術家ミケランジェロと、バウハウス様式を完成させたデル・ローエと、自動車王ヘンリー・フォードと、テニスプレイヤーのジョン・マッケンローと、イタリアの政治家マキャヴェリを足して、ようやくジョブズになる」と言った。厳格で、目的のために手段を選ばず、世界を変えた不世出のわがままな天才と言う人物像らしい。しかし、「いやあ、実は、誇張されているだけで、座禅を組んだり、普通の人ですよ」と言われるより腑に落ちる。

 

Appleの駐車場の身障者用駐車スポットが、ジョブズの黒いポルシェ911専用になっていたので、本人に注意すると、「あそこは、近くていいんだ」と意に介さなかった。ジョブズが嫌う物の一つに車のナンバープレートがあった。カリフォルニア州の特別ルールで「購入6ヶ月以内なら、ナンバープレート不要」だったので、6ヶ月間のリースで新車にし、ナンバープレートのないポルシェに常に乗っていた。

 

 このわがまま男が、数社に声をかけて、競合プレを仕掛けたが、広告業界の全ての人々が予測したように、10年来のパートナーTBWAのリー・クロウに広告を依頼して、元の鞘。競合プレに参加したTBWA以外の広告会社は、噛ませ犬で、被害者のはずだが、怒りも悲鳴も聞こえてこなかった。被害者の一人であるグッドビーのパーティ談話(伝聞)は、以下に。

 

ジョブズを2時間待っていた。ジョブズの腹心リー・クロウ相手に勝てるわけがない、敗戦が決まっているプレに参加したのは、ジョブズに会いたいとの一心だった。さっきから、予習してきたデータをもっともらしく説明するマーケティング・スタッフにイライラしていた。

 

お昼前、ようやくドアが開き、ジョブズが姿を現した。憧れのヒーローに出会った子供のように、有名な牛乳キャンペーンを手がけたCDジェフ・グッドビーと、世界のアカウント・プランナーの先導者ジョン・スティールの心拍数が上がった。

 

二人の顔を見て「彼らの話には退屈しただろう」と言って、プレの説明をし始めた。「世界には、一握りのAppleファンがいる。マイナーブランドに価値を見出してくれている人々に感謝するメッセージを送りたい。どんな戦略がいいか、あなたのエージェンシーの経験で役に立つと思われる成功事例を提示して欲しい」。さっきの2時間は何だったのか。15秒の"エレベーター・トーク"より、少し長めのオリエンテーションだった。マーケティング・スタッフを見ながら「こいつら、馬鹿だから」と言って、ジョブズは席を立った。情報をスタッフに流通させないで、スタッフを責めるワンマンに誰も逆らえなかった。

 

後日、プレをした時には、マーケティング・スタッフは姿を消していたそうだ。現在のティモシー・クックCEOのAppleで、マーケティング部は復活したが、ジョブズがいた20年間は、ジョブズの頭が、マーケティング部だった。

 

ジョブズの”マーケティング”は、ガッツ・フィーリングで、鋭い感性から発するものだった。彼の発想パターンを見ていると、「不満思考法」と言われるものに近かった。ここが足りない、あそこを変えたいという不満から、新商品が実際生まれている。カンヌ広告祭の受賞常連の広告会社BBDOが編み出した不満と処方箋を体系化した思考法でもある。

 

ジョブズAppleを去った後の10年間は、BBDOに広告を依頼した。Appleのスタッフは、ジョブズに近いマーケティングを、広告会社に期待したのだろうと推察する。しかし、ジョブズの”ガッツ・マーケティング”抜きでは、業績は右肩下がりになってしまった。

 

マーケティングに発見がないと言われて久しい。AdAge誌によると、AI化が拡張するアメリカで、一番失業するのはマーケターだと言われている。しかし、人は二進法では動かない、人は迷い、回り道をし、分析し、工夫し、解を見つける。デジタル・エンゲージメントという「検索数」は獲得しても、このヒューマン・エラーの過程をデリートしたコンピュータ・マーケティングは、果たして人に届くのだろうか。

 

参考資料: 

・Rob Siltanen "The Real Story Behind Apple's 'Think Different' Campaign"Forbes.com

・ウオルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ講談社 2011/10/24

 

 

 

 

 

 

少し狂ってないと、生きられない②

(→前号同様、シルタネンの手記を引用する)

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「いまを生きる」

クロウからプレを受けたジョブズは、ビデオがとても気に入ったようだった。

 

「これは、素晴らしい。とても素晴らしい。でも、これは、採用出来ない」とジョブズは言った。「Appleのロゴの下に天才たちを並ばせるなんて出来ない。世間から”エゴイスト”と呼ばれている私を、マスコミが血祭りにあげるだろう」と続けた。

 

会議室は、静まりかえった。クロウは、代案を持っていないことを悔やんだ。次の瞬間、ジョブズが大きな声で「私は、何を言ってるんだ。これは、正しいことなんだ。明日、これらを進めるための話をしよう」と言った。

 

次回のミーティングでは、懸念していた通り、ジョブズは、シールの楽曲"Crazy"がとても気に入っていた。特に"少し狂っていないと、生き残れない”の歌詞にぞっこんだった。ミュージック・ビデオを、60秒のCMにすべきだと主張した。幾度も、5分のビデオを1分にしても良くならないし悪くなると、クロウと合流したシルタネンが説得したが、聞く耳を持たなかった。

 ジョブズの関心をそらせるために、シルタネンが、今回のCMのヒントになると思っていた映画「いまを生きる(Dead Poets Society)」の台詞をジョブズに紹介した。「あの映画は観たし、主演のロビン・ウイリアムスとは友達だ」とジョブズは答えた。映画からインスパイアされた箇所をCMのナレーションにしたビデオを、翌週提示することを約した。

 

モーニング・コーヒーをオフィスで飲む日を続け、ナレーションを完成させ、ビデオに仕上げた。

 

"Think Different"の背景にある「人と違うことは、いいことだ」というコンセプトが、表現されていると思った。少数のAppleユーザーはもとより、大多数の人々にも共感してもらえる自信もあった。ビデオを見た同僚の「鳥肌が立つ」という感想にも、シルタネンは勇気づけられた。

 

ビデオが終わるのを待ちかねていたかのように、ジョブズの怒りが炸裂した。「最低、劣悪、よくこんなものを持ってくるな。広告会社のマスターベイションだ」「あの映画を圧倒する作品を書いてくると思っていたが、なんだ、これは、クズだ」と畳みかけた。ジョブズの迫力に押されて、クロウは「気に入らないようだから、引き下げる」と言った。「『いまを生きる』の脚本家か、本物のライターをここへ連れてこい」と、ジョブズは、怒鳴った。シルタネンが反撃した「あなたは、私の作品を好きじゃないみたいだが、これは、ゴミでもクズでもない」。これがこのプロジェクトにおける、シルタネンの最後の言葉になった。「いや、クズだ」ジョブズの言葉がトドメを刺した。

 

以前ジョブズと仕事し、当時は他の広告会社にいたケン・セガールが、クロウの部屋に招き入れられた。数日後、セガールは、シルタネンのオフィスに出向き「たくさんの作品を見たが、あなたの"Crazy Ones”のコピーが一番だと思う。修正して完成したい」と申し出て、彼の承諾を得た。

 

コピーを完成し、CMのナレーターの件になり、(シルタネンが以前希望していた)ロビン・ウイリアムズが最適となり、折衝した。しかし、ジョブズの広告であろうが、なかろうが、いかなる広告にも出ないと断られ、二番手のリチャード・ドレイファスになった。一方、クロウは、ジョブズ自身をナレーターに希望し、録音までしたが、「これこそ、自己満足だ」と、スタッフ全員に反対されて没になった。

 

以下は、左に完成形のCMナレーションと、右にシルタネンの最終稿を併記した:

これは、異端児へ捧げる                                        これは、異端児へ捧げる

周りになじめない人がいて          周りになじめない人がいて

反抗する人がいて              反抗する人がいて

問題を起こす人がいて            問題を起こす人がいて

四角い穴に丸い鋲があって          ここに、世界を違って見る人々がいる

物事を違った方向から見る人がいる      彼らは、発明し、想像し、創造する

彼らは規則やルールが好きではない      彼らは、人類を前へ進める

権威には無頓着で敬意を払わない       

                 (中略)

そして、世間に奇人だと思われている人の中に    彼らをクレージーだと見る人がいて、   

私たちは天才を見出すことがある                            天才と見る人がいる

世界を変えられると思うくらい                               世界を変えられると思うくらい

異常な人々ゆえにそれができる        異常な人々ゆえにそれができる  

Think Different                    Think Different

 

2点は、大きく違わない。しかし、シルタネンが認めるように、左のセガールのコピーの方が、「四角い穴に、丸い鋲があって」など絵になる言葉があり、こなれている感じがする。 また、シルタネンが、韻を踏んだ重い言葉の連続「彼らは、発明し、想像し、創造する」に、安易な予定調和の「彼らは、人類を前へ進める」の言葉が続く。これらに、ジョブズは、敏感に反応したのではないか。普通の人々を置き去りにする、独りよがりな陶酔感を嗅ぎ取ったに違いない。怒りの地雷が炸裂した。

 

幾度もご覧になったCMですが:

www.youtube.com

 このCMは、ジョブズ復帰の待望の広告であり、"Think Different" が、ファンのアップル心を高揚させた。一方、世界の反応は手厳しいものだった。Los Angeles Times「死んだ人々を出すアップルのキャンペーンは、ブランドが死んでいく様子をよく表している」。手厳しい批判にも関わらず、1年以内に、Appleのブランド価値が再認識され、株価はジョブズ効果も手伝い、3倍になった。さらに、iMacの投入に始まる新製品ラッシュで、V字回復を果たした。

 

このシルタネンの手記は、ジョブズ没後の2011年12月に守秘義務期間が解けて、公表された。アイザックソンの著書の"Think Different”の章の事実誤認を指摘するのが目的で、ジョブズを批判しているわけではなく、「ジョブズの情熱、指示無くして成立しなかったプロジェクトだった」と彼の貢献を讃えている。

 

参考資料: 

・Rob Siltanen "The Real Story Behind Apple's 'Think Different' Campaign"Forbes.com

・ウオルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ講談社 2011/10/24