他人の不幸を自分の幸せに変える

the Subservient Chicken

最近、広告が話題にならない。地上波を観なくなったから?面白くないから?特に、元大リーガーの証券会社のCMなど、なんでも一流を目指す真面目な人柄が、痛々しい。もう演技しなくていいですよと言いたい。

でも、思わずほっこりするCMも当然ある。たとえば、東京03のおなじみの「さとふる」CMとか、山田孝之松本人志の「リクルートAirワーク」など:

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でも、不況疲れの日本、リクルートや官公庁のように余裕がない。もっと噂を喚起したいというバイラル・マーケティングの攻め口をみんな探している。

 

そんなときに参考になるのが、バーガーキング。2004年の”従順なチキン”でインパクトを与えて以来、とにかくバイラルしかやっていない。

 

マックに入っていって、”ワッパーがないのか”と大騒ぎしているCMだったり、マックとバーガーキングのどっちが腐りやすいかで、防腐剤たっぷりのマックが腐らなかったことを実証したCMなど。巨大ライバル追い落としに、やっきになっている。しかし、差が大きく、なかなか届かない。

 

ツイッターを使ったゲリラでは、ウエンディーズも標的にしている。スパイシー・ナゲットを販売中止したことで、ファンが騒いでいるウエンディーズのツイッターに入り込んで、”心が折れちゃう。うちに来れば”とツイッターして、”当店の商品を使って宣伝するなんて信じられない”笑顔のウエンディーズが怒ったりで、炎上→成功。(新発売広告予算の1%以下で目標達成。150億回以上のクリック数獲得。新発売4週間で3ヶ月分の売り上げがすごい)。

 

バイラルを成功させるには、バーガーキングのようになりふり構わない。弱みにつけ込む。他人の不幸を自分の幸せに変える。

 

ゲリラマーケティングは、ブラジルが本場。その凄さを見せつけたのが(Burn that Ad)。

”街中、マックの広告だらけでしょ。邪魔だから見たら、あなたのスマホで焼いて。お礼にワッパー1個あげます”

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アプリをダンロードしてもらえればゴー。ポケモンのテクを使ったAR(augmented reality)で、ブラジルのバーガー市場シェアをかなり揺さぶったもよう。

しかし、このキャンペーンのスタッフ表を見ていて、びっくり。イノベーション&テクノロジー担当とか、こんなにスタッフが要るんですね。ゲリラといえども手を抜かない。予算をかける。尊敬です。

Credits

Agency: DAVID SP

Campaign: Burn That Ad

Client: Burger King Brazil

Managing Director DAVID SP: Sylvia Panico

VP executive creative director: Rafael Donato

Creative Director: Edgard Gianesi

Copywriter: Luca Trincanato

Art Director: Marlus Lau

Account: Carolina Vieira, Rafael Giorgino, Roberta Magalhães, Martina Adati

Account: Carolina Vieira, Rafael Giorgino, Roberta Magalhães, Martina Adati

Producer DAVID: Fabiano Beraldo, Fernanda Peixoto, Silvia Neri, Brunno Cunha, Gustavo Viola

Planning: Daniela Bombonato, Carolina Silva, Bruno Gomiero

Media: Marcia Mendonça, Mateus Madureira, Felipe Braga, Renata Oliveira, Silvia Sakurai, Luana Paolillo

Social media: Lucas Patricio­­­

Innovation & Technology: Toni Ferreira, Gustavo Nanes, Karine Viegas, Ully Correa

Data Intelligence: Mailson Dutra, Guilherme Campos

Client Approval: Fernando Machado, Marcelo Pascoa, Ariel Grunkraut, Thais Nicolau, Bruna Yoshida, Mariana Santos, Stephanie Pellin

Production Company: (APP): VZLab

Team VZLab: Luiz Evandro, Giovani Ferreira, André Sernaglia, Eliza Flores,

Marcia Sumie, Daniela Murai, Daniela Murai, Giovani Ferreira, William Queen, Yuri Cruz, Yuri Cruz

Production Company: Café Royal

Director: Irmãos Meirelles e Tuco

Photography: Tuco

Team Café Royal: Manu Carvalho, Moa Ramalho, Camila Carrieri, Eliseo “Gringo” Alvarez

Pos production: Clan

Sound Production: Jamute

Team Jamute: James Pinto, Thiago Lester, Anderson Soares, Kiki Eisenbraun, Sabrina Geraissate

Production Company: Hogarth

Team Hogarth: Alexandre Sakihara, Ricardo Kertesz, Stephanie Valente, Marcelo Baptista e Dereck Denis, Fadel Dabien, Lucas Moreno, Alexandre Sakiha

 

成功した日本のゲリラでは「絶メシ」サイト。食べログなどでピックアップされない、シャッター商店街の絶滅しそうなマイナーな「絶品高崎グルメ」を掲載。ローカルTV局がフォローし、13億円の宣伝効果を喚起。掲載店舗平均で、20%売り上げアップを達成した成功事例。日本のソウルフードとして、さらなる展開拡大を期待したい:

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                                                                   (主な参考資料:http://www.qp21.jp/vol17.html)

 

毒づく男

Alien3

 

映画「エイリアン3」の打合わせが熱をおびていた。

 

”エイリアン”は、リドリー・スコットが大ヒットさせ、タイタニックなど特撮得意のジェームス・キャメロンが引き継ぎ、さらにヒット。

 

集客力のあるソフトだから、3作目をつくりたいというのが、スタジオの意向だった。しかし、もはや、大ヒットは望めない。だから、CGや特撮の製作コストを抑える。(巨匠のように贅沢やわがままを言わない)若手監督起用で、指示通りやらせて、コストダウン、収益確保を狙う。

 

この作戦は、うまく行かなかった。まず、脚本・監督のビンセント・ワードが怒りの降板。そこで、映画を撮りたがっていたCMディレクターのデイビッド・フィンチャーを起用。しかし、彼は、お仕着せの脚本が気に入らなかった。新たに9人の脚本家をたてて会議室は戦場に。脚本がやっと決まった。今度は、露骨なコストダウンに、製作スタッフが次々と反乱。

 

最後は、プロデューサー権限で、フィンチャー監督を抑え込んで撮影強行。結果、映画批評は、最悪。「プロデューサーは、私をまったく信用してくれなかった。私以上にこの作品を嫌って、憎んでいる人間はこの世の中にいない」とフィンチャー。このあと、彼は、次回作のためにマネジャーが集めてくる脚本は目に入らず、仕事を長い間休んだ。

 

2度と映画の仕事はこないだろう。CMとミュージックビデオ製作に戻ろうと思っていた。

 

ふり返ってみると、8歳で買ってもらった8ミリカメラで育った映画少年だった。そして、8歳のとき観た「ブチキャシディ&サンダンスキッド」に感動し、カメラのレンズを磨きながら映画監督になることを決めた。

 

ジョージ・ルーカスの隣家に住んでいたこともあり、映画関係の親を持つ子供たちがたくさんいて、映画スタジオのさまつな”トリビア”にはこと欠かなかった。「映画の完成までだいたい4ヵ月くらいかかっている」「主役にはスタントマンがいて、高いところから落ちたりする」「顔のアップになるときは、照明を変えるので、2時間くらい休憩をはさむ」などの話を、鼻の穴をふくらませて聞き入っていた少年だった。

 

勉強は、映画より好きではなかった。映画館の映写係とか、皿洗いとかしながら高校を卒業。プロダクションやスタジオ勤務を経験し、雑多な知識で頭をふくらませていった。ルーカスの撮影でカメラマン助手で雑用する頃には、一人前の”叩き上げ”になっていた。

 

「今までにないことをして、新しい自分を創ってほしい」というマドンナ、ポーラ・アブドゥール、ジョージ・マイケルなどの願望に、彼の意欲的なプレゼンテーションが、刺さった。

 

スターウォーズ」や「インディジョーンズ」をやった”実績”とか、(やったことがないけど、やりたい)撮影ノウハウの知識を、これでもかというくらい披露。突っ走るフィンチャーのバスに、みんな乗った。

 

最多53のミュージックビデオで、初めて映画監督になった人。この名声で、テレビCMのオファーも獲得し、プロダクションを設立し、スパイク・ジョーンズなど9名のディレクターが参加した。

 

「私は、”アンチ商業主義”のCM監督だ。人が商品を持って薦めるCMは、いっさいやらないと決めている」とフィンチャーは社長宣言。日本では成立しないTVプロダクションPROPAGANDAが誕生した。

the Girl with the Dragon Tattoo

フィンチャーは、「セブン」ファイトクラブ」や「ドラゴンタトゥーの女」など、強烈な作品を世に出している。しかし、育った畑が違う。”カルト映画”ファンに支持されているだけで、ミュージックビデオ出身の監督は、ハリウッドでは異端児だと言われていた。

 

ハリウッドの彼に対するアタリはきつかった。映画「スパイダーマン」に監督指名されず、フィンチャーはプレ参加。”弱った中年のスパイダーマンが、悪と戦う共感ドラマ”をプレ。”B級ポップコーン映画を、ヤツは、わかってない”と即落選。サム・ライミに決定した。

 

しかし、フィンチャーは負けていない。ケーブルTVのHBOとはお互い譲らず、予算でケンカ別れした。「私は、毎日50の妥協をしていると思っている。ところが、人々が私の前に現れて”どうして、折り合いをつけようとしないんだ”と言う。そもそも、私が妥協しないのなら、あなたと会ってはいない」とフィンチャーは思う。

 

フィンチャーを見ていると、”怒りは、エネルギー”というジョン・レノンの言葉を思い出す。

 

フィンチャーの監督スタイルは、徹底した調査から始まり、スイス時計のような精巧さで撮影プランを立てる。だから、ディテールにこだわり、ゆずらない。彼は言う「一つのシーンを撮るのに、何百という方法があると、人は言う。私は、二つしかないと思う。その一つは、間違った方法だ」。

 

フィンチャーの分析では「映画には、大きく分けて二つのタイプがある。一つは、キューブリック・タイプで、観客を”目撃者”にする。もう一つは、スピルバーグ・タイプで、観客を”参加者”にする」。本人は「私はどちらでもない」と言うが、彼のカルト映画は、どう見てもスピルバーグの参加型ではないと思う。

 

「世の中、真っ直ぐな人はいない。どこか折れたり、曲がったりしている。そんな人々のゆがみを写し込んで私の監督脳はできている」フィンチャーが、スピルバーグにはできないことをやっている理由だ。

 

「ハリウッドは、何かにつけて芸術作品を作れと言うが、”20世紀フォックス”の商業主義のロゴが冒頭に入っていて、何が芸術作品だ」と反逆児は毒を吐く。

 

フィンチャーのCM集:敬愛するリドリー・スコットの「ブレードランナー」や、大好きなマイク・ニコルズの「卒業」とかをオマージュしている。冒頭には日本のみオンエアのコークのCMが集録、ナイキをメインに多彩だなと思いながら、”アンチ商業主義”を楽しめる。

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「私が何をしたいのかを知るのが、監督としての仕事だ」と、今日もフィンチャーは脳の血管をパンピングしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーディションで恋に落ちる

E.T.

 

ハリウッドでは、映画のオーディションがない日はない。今度こそはと、俳優たちが集まってくる。仕事を得るためには、自分の能力を100%見せる努力を惜しまない。その人のすべてを知る、1番の機会だ。何度もデートを重ねて得る感触よりも、たぶん正確なプロフィールがまとまる。

 

スピルバーグもそう思っていた。「あの女性には、心臓をぶち抜かれた」とプロデューサーに言って(「未知との遭遇」のオーディションで落とした女優と)結婚。しかし、離婚をはさんで2度の結婚。再婚の末の離婚慰謝料は、空前の1億ドル。彼は、心臓を2度ぶち抜かれることになった。

 

3度目の結婚は、映画「インディ・ジョーンズ」(今回はオーディションで落とされず)ハリソン・フォードと共演した女優のケイト・キャプショウだった。

kate capshaw

映画では、猿の脳みそを食べ、大蛇や殺人アリやゴキブリの大群と戦い、”婚前の試練”を経て、厳格なユダヤ教スピルバーグ家に嫁いだ。彼女の偉いところは、プロテスタントからユダヤ教に改宗し、年6回の断食日や、さまざまな戒律を学び、実践し、スピルバーグに「ユダヤ人としての誇りを取り戻せた」と感謝された。

 

オーディションで恋に落ちる彼の癖は、35のアカデミー賞受賞にまつわる超多忙スケジュールの影響もあるだろう。では、どうやって、映画化の原作を選んでいるのか。「これを本当にやるのか?」という彼のスタッフの反論に、情熱を失わないで討議、論破できるかというのが、”リトマス試験紙”になると彼は言う。

 

迷ったときは、意識より「直感(ガッツ・フィーリング)」を大切にする。「内なる声」に耳を傾ける。論理的に考えた末の、意識の逆転を待つようだ。

 

スピルバーグらしい”という典型はない。胸のすくようなアクションものだったり、好奇心をくすぐるサイエンス・フィクションだったり、良心に語りかける社会派だったり、彼の心のおもむくままに多様だ。

 

社会的に影響を与えた優秀な映画が、国会議員図書館に収納されている。彼の場合7作品にのぼる:「ジョーズ」「未知との遭遇」「インディ・ジョーンズ”失われたアーク”」「E.T.」「ジェラシック・パーク」「シンドラーズ・リスト」「セイビング・プライベート・ライアン」。どの監督もかなわない質と量だ。

E.T.

さらに、スピルバーグに驚かされたのは、名刺代わりに見せられた「激突(duel)」。黒い煙を吐く死神が、生け贄をいたぶるような路上サイコ・ホラーだった。

 

12歳の頃から、コンピュータ技術者の父親のムービーカメラで、映画を制作していたスピルバーグにとっては、中学生がいとも簡単にスケボーをあやつるように、カメラを使いこなしていた。ユニバーサル・スタジオにスカウトされ、大学2年生で退学(「子供に対する親のしめしとして、大学を卒業する必要があった」と、50歳でカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に戻り卒業した)。

 

スタジオデビューした20歳のスピルバーグは、古いやり方を否定。スタジオ革命をした。そのことで、ベテランのスタッフから総スカンをくらい、スタジオから締め出されることになった。しかし、横あいから見ていた当時の大女優のジョーン・クロフォードが、”あの坊や、言ってることは、理にかなっている”と、スピルバーグの才能を認めていた。

 

3本のアカデミー賞を獲った”ジョーズ”では、”オフ・センター・カメラ”技法をあみ出した。演技者を画角の真ん中から外し、不安で動転している雰囲気をドキュメンタリー風に描写。ヒチコックが激賛した。

 

撮影中に、マット・デーモンが「このカット、もう一度撮り直した方がいいのでは」と言ったら、スピルバーグは「あと1時間かければ10%良くなるだろうが、私は他のカットに進むことを選ぶ」と一蹴した。

 

ある俳優が「ここの演技に迷っている。どうすればいいか、アドバイスを」と言ったら「それはここでやるものではなく、あそこのカメラ前でやるもんだ」とスピルバーグは背中で答えた。

 

週末は、アリゾナの映画館に行くのを楽しみにしていたスピルバーグ少年は、「アラビアのロレンス」を観て、進路を決め、全米を笑顔にし、感嘆のため息をつかせた55の監督作品を残した。しかし、アメリカ映画の流れをつくったスピルバーグにも批判がある。

 

「彼の作風は、感傷的で、道徳的でつまらない」「音響とスペクタクルで、観客を子供扱いしている」「最近の作品は、メロドラマになってつまらない」。ジャン=リュック・ゴダールは「アメリカ映画を芸術ではなく娯楽にし、堕落させた」など。

 

ユダヤ人として差別された子供時代を過ごした私は、差別や偏見に満ちた不幸な世界を変える、大きな”WE”を探し求めている」と、ハーバード大学の講演で語ったスピルバーグの言葉が、彼に対するすべての批判を吹き飛ばしたような気がした。

 

”ボクは、キミの心にずっといるよ”というE.Tの言葉を思い出しながら、スピルバーグの映画を思い返している。

 

スピルバーグは60歳のとき、映画監督としては致命的な「失語症」の診断をされている。努力家の彼ならではの、悪化を遅らせる努力を重ねていると思う。

 

 

 

 

 

 

指だけがおぼえていた

小説「雪国」の主人公がしばらくぶりに会った芸妓に、「指だけがおぼえていたよ」と挨拶するくだりがある。

 

「繊細な指の記憶」は、脳の記憶より強く、いつまでも残っている。川端康成の気づきが印象的だった。

 

触覚は、指先のみならず全身をおおっている。人間は、”感受性の塊”とも言える。この触覚(haptic)を通じて、デジタルの擬似体験を、よりリアルに感じさせる試みがある。

 

PARTYのクリエイティブ・ディレクターの川村真司が、触っている感覚と気持ちをシンクロさせる”擬似触覚”、スード・ハプティック(psiudo-haptic)を、安室奈美恵の「Golden Touch」のミュージックビデオで試みた。再生回数1,400万超を記録して、世界中で反響を得た。

 

(ビデオ画像の真ん中の小さなマークに人差指を置いてご覧ください(赤いゼリーの絵では指を2,3回叩くと、ゼリーが気持ち良く揺れます))

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バーチャルをリアルに近づけようとする試みは、人の触覚にアプローチして”心の扉”を開こうとしている。川村真司は、「VRゴーグルに”擬似触覚”を取り込むことで、新しい展開が生まれる」可能性を指摘。

 

タカラトミーが、育成玩具で「ふれあえる次世代 お世話トイ=ぷるにんず」で、”擬似触覚”の実用化をして2022年度上半期のヒット商品になっている(日経MJヒット商品番付)

ぷるにんずCM(最初に時間設定し、卵から触られることでキャラクターが育成):

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一方、デジタル映像の”擬似触覚”では、どんなにリアルに感じても、腕に止まった蚊の方がリアルだ。

 

腕に止まった蚊のカユミを”擬似触覚”させるのが、デジタル・クリエイターの次の仕事かも知れない。

                     ●

アナログ・クリエイターは、10年ほど前からテレビ画面で、もぞもぞするカユミを擬似体験させるおバカな試みを2、3しています(画面の赤いスキットル・チョコに人差指をずーとくっつけてください)

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"この指にキスしたら、指が王子様になるの?→そうよ、二人でskittle王国を治めるのよ、、→なんか、変な感じ” (上記同様)

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もともと、高尚な”擬似触覚”など、skittleは考えていません。今は普通のコマーシャルに戻っています:

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            (資料出典:http://hapticdesign.org/designer/file003_kawamura/)

頭はスポンジ、ペンはアンテナ

once upon a time in Hollywood

好きと嫌いが、あいなかばする人がいる。

 

好きでもない嫌いでもない、普通そういう人は、気にもならなくて記憶から消える。それでも、少し気になる人が、監督、脚本家、俳優、プロデューサーをこなすクエンティン・タランティーノ

 

タランティーノの映画は、”暴力が幸せを呼ぶような仕組みになっている”。だから、バイオレンスの高揚感が残る。

 

”バイオレンス映画の、社会的悪影響”をマスコミに問われたとき「私は、あなたの質問に答えない。私は、あなたの奴隷でもないし、あなたは私の主人でもない。私はあなたのリズムで踊りたくない。私は、猿ではない」とタランティーノは核心をそらせて、答えなかった。「バイオレンスはいい。観客を魅了する」と言っている”エンターテイメント・テロリスト”は、暴力を否定できなかった。

 

架空のエンターテイメントであれば、すべて許されるわけではない。私が、タランティーノを嫌う理由だ。

 

タランティーノは、あらゆる映画のアーカイブを頭の中に呼び出せるような研究家であり、それゆえ、ここは、深作欣二だ、サム・ペキンパーだ、セルジオ・レオーネだとか、興醒めさえする。あるいは、「”キル・ビル”は、復讐劇で、中国のマーシャルアート、日本の時代劇、マカロニ・ウエスタン、そしてイタリアン・ホラーでできている」と本人があっけらかんと解説したりする。

kill bill

「映画は芸術じゃない、娯楽だ」というタランティーノの開き直りも、好きでない2つ目の理由だ。

 

タランティーノのここが好き”というところもある。彼の略歴を見てみよう。

 

タイガー・ウッズが、3歳からゴルフを始めたように、彼も3歳から10歳まで、映画好きのミュージシャンの父親に映画に連れて行かれた。何を観たいか、子供の希望を聞くわけもなく、父親の好きな映画。ディズニー映画ではなかった。

 

英才教育のせいか、14歳で脚本を書きはじめた。IQ160と記録にあるが、高校を中退。大好きな映画に囲まれたビデオショップ勤めの生活を、タランティーノは選んだ。「学歴がない人生は、ピクニックではない」と母親が人生の厳しさを教えようとしたが、16歳でタランティーノを産んで、10年間で2度離婚の母親には、彼をいさめることはできなかった。

 

「あんたの脚本は、下手だね。絶対売れないよ」と言った母親に対し「脚本で儲けた金は、1セントも分けてやらない」と息子は反撃した(脚本収入1億2千万ドル、2021年時点でも、この約束は守られている)。

 

タランティーノ15歳の時、脚本制作の参考にしたい本を、ショッピングカートに入れたら、母親に突き返された。そこで、その本を自分のポケットに入れた。母親が「盗むな」と激怒、彼に本を返却させた。

 

19年後、万引きを失敗した本を脚本化し、”ジャッキー・ブラウン”を映画化。作家エルモア・レオナードが「私の著作の中で、脚本化された最も優れた映画」と、ほめている。

jackie brown

タランティーノは「僕の頭はスポンジ、ペンはアンテナ」と言い、人の話を徹底的に聞き込んで、ペンの先から登場人物が立ち上がる。「生きた人物ができあがったら、ストーリーが自然にできる」。ロケ現場で、主演のウマ・サーマンと話しこんで、”キル・ビル2”が生まれたように。

 

彼の生きた脚本に、演技者が手を挙げる。サミュエル・L・ジャクソンレオナルド・ディカプリオ、ハービイ・カイテルティム・ロスなど、何度も彼の映画に出演している。

pulp fiction

でも、いいところばかりではない。”バイオレンス映画”の監督は、ガサツなんじゃないかと思ったりする。

 

例えば、ハリウッドの大物プロデューサーのセクハラ・スキャンダルが話題になった時、タランティーノは、2人の女性被害者から相談を受けていた。プロデューサーに直接抗議し、2人に対し謝意を表明させた。(しかし、すでに訴訟進行中の2人は、言い訳つきの”謝意”より、訴訟の追い風になるように、タランティーノに声をあげてもらい、マスコミをもっと巻き込みたかったのが本音)。ほぼ何の役にも立たなかった。後日、タランティーノも”もっとうまくできた”と反省。雑。

 

タランティーノが、梶芽衣子のファンだったことは有名。”キル・ビル”の日本撮影で、「彼女にふたりだけで会いたい」と言い出した。日本人のプロデューサーが、二つ返事で引き受けた。「本人の承諾もなく」と、梶芽衣子が激怒。なんとかとりなして彼女に会ってもらう。でも「英語も喋れないのに、何話すの」というふきげんな顔では、友好も親善も親密もなかった。タランティーノの”ミューズ(女神)リスト”から彼女の名前が消えた。ガサツ。

 

でも、映画制作では、”映画オタク”の研究心で、粗い網目を細かくする。

 

クリストファー・ノーランアルフレッド・ヒチコックマーティン・スコセッシスティーブン・スピルバーグを研究対象とした。そして、ジャン=リュック・ゴダールを映画の革命児と讃え、彼があみ出した章ごとにストーリーを分けるジャンプ・カットを、”パルプ・フィクション”など、多くの作品で使っている。

 

「名監督の晩年の作品は、ロクなものじゃない」と思っている”映画オタク”は、生涯製作10本と決めている。その後は、映画研究家になりたい目標を持っている。現在、10本目の映画に向けて、離婚騒動のジョニー・デップと脚本の打ち合わせに入っている。

 

いい点もわるい点もあり、人間っぽい。タランティーノは、好きでも嫌いでもない、愛すべき人だと思った。

 

人は人をどれだけ愛せるか

The Shining

すさまじいピラニアのように、しつこいヘビのように、完成度を突きつめていく。完璧主義者のスタンリー・キューブリックの撮影現場の空気だろう。

 

しかし、完璧主義者についていけない人間が現れると、そこで船は沈む。キューブリックにとって幸運だったのは、彼に浮力を与える人間が現れていた。

 

時計じかけのオレンジ」を観ていた男が、横の席の友達に向かって言った「俺は、この人についていく」。数年後「バリー・ロンドン」のオーディション会場に、彼はいた。そして、”激しく嘔吐する男”の役柄を得た。

Leon Vitali

撮影当日、レオン・ヴィタリは、半生のチキンとトマトを胃に詰め込んで、現場に臨んだが、涙はあふれるが、嘔吐はできなかった。キューブリックが現れ「生卵を飲め」と言った。盛大な嘔吐シーンが生まれた。このちっぽけな端役に全身で挑む男の執念に、キューブリックは心を動かされ、次の映画「シャイニング」の台本を彼に渡していた。

 

そして、1日16時間、1週7日間の労働が始まることになる。クリスマスにキューブリックからヴィタリに電話が入った。クリスマスの挨拶もなく、仕事の話だった。彼は、歯槽膿漏の痛みを和らげるために、ウイスキーをすり込んで外へ出た。

 

ヴィタリの仕事は、キューブリックが撮影で必要なものをすべて調達することだった。加えて、キャスティング・ディレクター、演技指導、監督の前頭葉を刺激する役割など。

 

「シャイニング」の少年と少女のオーディションには、5,000人を集めた。1日100人でも50日かかる徹底ぶりだった。少年役は、ヴィタリが演技指導することで、キューブリックの反対を押し切った。

 

”廊下に立つ少女”についても、キューブリックのイメージよりも、ヴィタリは”双子の少女”が不気味でいいと思い、ダイアン・アーバスの双子少女の写真を示して、即決された。

左©︎Diane Arbus             右©︎The Shining

有能な助手を得たキューブリックは、紙にインクが沁みるように、幸せをゆっくり感じていた。

 

しかし、撮影が始まると、ピラニアとヘビが騒ぐ。ジャック・ニコルソンによれば「1シーンで50回のテイク(撮影)は普通」と言っている。お化けのバーテンダーが微笑むシーンでも、30回。妻役のシェリー・デュバルがバットを振り回して夫と戦うシーンがあるが、127回のテイクに耐えなければならなかった。焦燥、疲労、手に血豆。恐怖を全身で感じていた。撮影中、彼女は、脱毛症になった。

 

役者は、”感情を奏でる楽器”とキューブリックは思っていた。しかし、気に入る楽器は、少なかった。ニコルソンには自由演技をさせ、キューブリックが編集で選ぶ方式をとった。幸せな楽器は、ニコルソンとマルコム・マクダウェル(時計じかけのオレンジ主役)だけという。

 

キューブリックは、ヴィタリにすべてを相談することで、彼を幸せにした。

 

彼の友人はこぞって、キューブリックとの関係を断つよう助言したが、「僕は、スタンリーを愛してしまったから」と言い、1999年3月7日、ほぼ30年間、キューブリックが亡くなる日まで仕えた。

 

キューブリックが目指した世界が恐怖でふるえるエンターテイメント「シャイニング」こそ、監督助手ヴィタリのデビュー作だった。その予告編をもう一度観たい:

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最後に、キューブリックを尊敬した監督たち17名(発言録より収集):マーティン・スコセッシスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカス、ジェイムス・キャメロン、テリー・ギリアムコーエン兄弟リドリー・スコット、ウエス・アンダーソン、ジョージ・ロメロクリストファー・ノーラン、デイビッド・フィンチャー、デイビッド・リンチ、ティム・バートンギレルモ・デル・トロ、ミシェル・マンギャスパー・ノエ、フォン・トリアー。

 

マディソン郡の橋の彼が好きだった

gran trino

ハリウッド俳優のクリント・イーストウッドは、演技が上手いのか、下手なのか分からない。

 

クリントの当たり役は、”ダーティ・ハリー”。複雑な心理戦はない。ひたすら容疑者を追い詰め、法廷に立たせることなく、マグナム銃をぶっ放す(無法者はどっちだと思う)。クリントの決まり文句は"Make My Day(すっきりさせろ)"。演技力はいらない。

dirty harry

"ダーティ・ハリー"の前といえば、マカロニ・ウエスタンのカウボーイ役。この仕事については、うまい話に乗せられたとクリントが後日語っている。人を乗せるのがうまいのは、イタリア人と決まっている。監督のセルジオ・レオーネが「(クリントが好きな)日本の黒澤明の”用心棒”をやりたい。ついては、エリック・フレミング(ローハイドの隊長役)が、クリントならやると薦めてくれた。(ギャラもローハイド時代の週給100ドルではなく)週給1,300ドルで11週間、完成時にはメルセデス」とたたみかけた。クリントにとって、断る理由も余裕もなく、スペインの撮影現場に向かうことになる。”テレビ俳優”から格上の”映画俳優”になるチャンスを期せずしてつかんだ。

a fistful of dollars

"ローハイド"、マカロニ・ウエスタン、"ダーティ・ハリー"と、29歳から41歳まで続く。すべて演技力を求められない役柄だった。西部劇では、馬毛アレルギーのため薬を飲み、毎日馬に乗った。健康フェチのノンスモーカーなのに、シガーをくわえて演技する我慢もした。そして、仕事場では、ステレオタイプの「典型」を飽きもせず演じさせられる。私生活にうっぷんが溜まる。2度の離婚と2度の同棲を通じ8人の子供をもうける(本人の主張では7人)。乱脈な私生活で訴えられたりしながら、人生勉強をしていた。

 

"ダーティ・ハリー"後のクリントは、監督業が多くなり、ある年齢に達するまであたためていた原作を、次々映画化し、手応えのある大人の映画を世に問う。

 

”アンフォーギブン”、”ミリオンダラー・ベイビー”、"グラン・トリノ"、"運び屋(the Mule)"あるいは”クライ・マッチョ”など、高潔、孤高、枯淡の演技でも圧倒する。

 

60歳の過ぎた男には、人生のかげりも、しわ一本一本から自然にかもしだされる枯淡の力と言える。むしろ演技力を抑えて生まれる味を、いまのクリントに感じる。

cry macho

ハリウッドは、いまだにベスト男優賞をクリントに与えていない。クリントも「(名優の多い)ユダヤ人でもないし、審査員でもないし」と冗談めかしている。

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約70年のキャリアで、70数本の出演フィルムがあるが、ほぼ半分の30数本の監督をしている。監督としては、"アンフォーギブン"と"ミリオンダラー・ベイビー"で、オスカーの監督賞を2度受賞している。

 

普通の撮影現場では、”エブリシング、オーケー?(フィルム)ローリング、ア〜ンド、アクション〜!”ディレクターの空気を切りさく大きな掛け声に、スタッフに緊張感が走る、撮影が始まる。

 

しかし、クリントの現場は違う。彼は、人差し指を耳の横に立てて、指をくるくる回転させる。カメラの後ろの初めてのスタッフは、あの、指を回すのなに?と思って見ていると、フィルムが回転する音が聞こえる、演技が始まる。

 

メリル・ストリープは「私たちは100m走者じゃないんだから、クリントの静かなスタートで、演技に自然に入れる」と言う。渡辺謙二宮和也も同様の感想だ。

 

陽気なトム・ハンクスは「ウエスタン映画が多かったクリントにとっては”ローリング、ア〜ンド、アクション〜!”では、馬が大騒ぎして撮影にならないと思っているはずだ。要は、クリントは、我々俳優を、馬としてあつかっている」と、トークショウの観衆を沸かせた。

 

'72年、最初の監督作品”Play Misty for Me"(ラジオのDJをストーカーする女性のサイコ・サスペンス)は、評判もよかった。自信満々のクリントは、その頃、ハリウッドに来ていたヒチコックから監督術を学ぼうとした。スタジオで待っていたヒチコックは、腕を組んで、あまり気乗りしない様子だった。クリントによると「黒スーツの太った男が微動だにせず、目だけキョロキョロ動かして、異様だった」。ヒチコックは「トリュフォーと話すのはいいけど、彼とは、100年早い」と思っていたに違いない。

 

クリントが、なぜこんなに早く監督を目指したのか。彼の下積み時代に関係がある。”ただ立っているだけならいい”と皮肉を言われ、20代はオーディションをほとんど落ちまくった。高校時代は、校庭のスコアボードに、教師の悪口を落書きしたり、校庭の銅像に火をつけて退学。雑貨屋の店員、新聞配達、ゴルフキャディなどをした若者には、誰かになりきる芝居を真剣にする気にもなれなかったのだろう。

 

しかし、彼の容姿に目をつけて週給100ドルの契約をしたプロモーターは、週給分でも稼がそうと、必死だった。審査がゆるいB級、C級の映画に彼を送り込んだ。俺は何をしてるんだと思いながら、街を襲う巨大毒グモから逃げまどっていた。この手の映画に多い、意気込みだけはあるが、ノープランのヘボ監督とたくさん仕事をさせられた。

 

29歳でつかんだメジャーな”ローハイド”ですら、監督の独りよがりのこだわりで、理由もわからず何度も同じ演技をさせられた。「もう一度、向こうから馬で走ってこい」と言われ、馬をゆっくり歩かせて戻り「あいつは、クソだ」と監督を激怒させた。

 

長く続いた下積みの20代は、反抗期になり、”監督への学び”をした。他人に通じない思い込みや、思い入れをしない”反面教師”として監督術を体得していった。

 

クリントは、ほとんど”リハーサルはしない。役者の解釈を優先し、生かす。演技者の迷いのない、気分が乗った最初のテイク(撮影)を素直に生かす。背景をシンプルにして、照明も抑え、技巧を凝らさない。撮影現場では、すべてをミニマイズして、観客の知性を信じ、想像力に任せる。クリントの監督作品は、予算内、時間内で終了。ハリウッドの経営・製作陣は、クリントの監督スタイルを歓迎した。

 

受賞歴のある監督と、受賞歴のない俳優が、一人の人間の中で、微妙に折り合いをつけて同居している。彼の演技に対する努力より、監督への情熱がまさったのは、若い頃にオーディションを落ちまくったトラウマがあったとしても不思議ではない。また、同期の俳優に演技力で、圧倒的に差をつけられていたことも影響していたと想像する。

 

・同年齢のスティーブ・マックイーンは、クリントがローハイドの脇役を得る1年前に、すでに"拳銃無宿"のTVシリーズで主役を張っていた。そして、ローハイドで右往左往している頃、"大脱走"の大ヒットで大スターになっていた。・1歳年下のジェームス・ディーンは、クリントが巨大毒グモから逃げまどっている頃、"エデンの東""理由なき反抗""ジャイアンツ"で、アカデミー賞のベスト・アクターにノミネートされていた。・2歳年下のアンソニー・パーキンスは、ローハイドを鼻で笑って、"渚にて"や"サイコ"の劇場ヒットを飛ばしていた。

 

"Can't win them all(すべて勝てるわけじゃない)"と犯人に言い聞かせたダーティ・ハリー。底辺から這い上がったクリントはちゃんとわきまえている。