3.11

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「ぎゃ〜」人のまばらな私鉄駅のホームに騒がしい声が響いた。列車に乗り遅れた女子高校生たちの奇声だった。10年前の3月11日、乗り遅れなくて悲劇にあった小学生たちがいた。

 

スクールバスが、グルグルンという重いディーゼル音を轟かせながら、ゆっくり動き始めた。先生にせかされて乗った児童たちが、不安げに外を見ながら、無言で肩を寄せ合いながら座っていた。高台の校舎から家に着いて津波が襲うまで、そんなに時間はかからなかった。

 

被災地の幼児たちに、自由に絵を描いてもらったら、暗い灰色で画用紙を塗りつぶしていた。2ヶ月後には、カラフルな流れを描くようになっていたという心理学者の研究報告がある。苦痛を苦痛として心に長くとどめておけない、忘却の自浄作用があるのだろうという分析だ。

 

過去を振り返りたくない時に政治家は、「未来志向」という詭弁に近い言葉を使う。元に戻れない。戻れない時間の狭間で、前を向いて生きている東北人の胆力に感嘆する10年目になった。

 

10年以上前に、JR東日本の「その先の日本へ」という東北キャンペーンがあった。そのプロモーションを兼ねたスピンオフ・フィルムがあった。東北の四季の美しさが描かれ、大貫妙子さんの「美しい人よ」が流れるビデオだった。5年ほど前に見た時は、失ったものに対する悔しさで、目に熱いものを感じた。YouTubeにも掲出されていたが、自主的に取り下げられたのか、視聴できない。美に残酷あり。東北の美しい人を讃えているような、大貫さんの歌声を今は聞くしかないのが、とても残念だ。

 

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