クリエイティブ墓地

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東京の中央区、港区、渋谷区などの西の区境に、クリエイティブ墓地があると聞いた。思いを果たせず無念にも成仏できなかった広告「作」を埋葬してあるそうだ。菩提寺は、興国寺という。

 

カラスの飛来が多い箇所なので、気づかれた人もいると思う。風に乗って悲しいうめき声が、夜な夜な聞こえてくると、近所の住人の話もある。丑三つ時の火の玉の目撃情報は、後を絶たない。しかし、最近のネット時代の粗製濫造の「作」には悔しい思いが足らず、墓地入りを拒否されているとお坊さんから聞いたことがある。

 

墓地入りを拒否された「作」が、私にもある。M不動産のプレで、「夕方の帰宅路で、自分の家から漏れてくる灯りが目に入った時、ほっとする。マイホームを持つインサイトがあるからこれをコンテにして欲しい」とプロダクションに伝えたら、「暗すぎますよ。出来ません」と拒否されてしまった。悔しいので、プレの場で「絵にはしていませんが〜」と前置きして、口コンテで、説明して退席した。

 

2年後に、その企画が同社のコマーシャルになって、そのシリーズは、3年ほど続いた。(勿論、制作された方々は、独自に企画されているわけで、変な物言いをしているわけではありません。むしろ、偶然の一致を嬉しく思っています)。企画しても絵コンテにもならなかったのなら、「空論」に過ぎず、墓地入り拒否は当然と思われる。

 

一方、私にも無念の墓地入り「作」がある。今も冥福を祈っている。

「誰にも負けない最高の商品を作ったので、広告を」とクライアントからオーダーがあり、「でも、”最高に良いですよ”と言えば言うほど、誰にも信じてもらえない難しさがありますね。むしろ、そんなに良いのなら、長所も短所も全て公開するオネスト広告にすべきだと思います。」と言って合意を得た。

 

広告は都合のいいことしか言わないことは、誰でも知っている。大人は、話半分で広告に付き合っている。だから、長所も短所も全てボディコピーに書き、「これは、事実です。広告ではありません。」という全頁の新聞広告のキャッチフレーズを提案して、認められた。

 

新聞原稿が仕上がった時、突然ストップがかかった。営業部長が「こんな広告を否定するような広告は、広告会社として認められない。俺が得意先に行って、取り下げてくる」と言って、フリーの有名なコピーライターに依頼し、「事実広告。」というキャッチフレーズに変えた広告を提示して、承諾を得てしまった。

 

広告は出過ぎてはいけない、おごってはいけない。偉そうに何が「事実広告」だと思った。私の意図するところが理解されていない駄作が掲載され、止められなかった無念さ。墓標の戒名は「悔涙即天去子」として、毎年の墓参は欠かさない。そこかしこの無縁仏にも献花している。