茶色のコーデュロイの子供ズボンを脱いで、インディゴブルーのジーンズに脚を通して、青春が始まったような気がする。
ごわごわする肌触りが、大人だと思った。強靭な布地が、唯一であり、無二だった。1880年生まれのゴールドラッシュのワークウエアは、遊び着になった。疲れてベッドにそのまま眠り、翌朝、そのまま歯を磨いていた。もはや、肌になっていた。
ジーンズといえば、リーバイス。それ以外は、にせものと思っていた。
ブランドの好感度と購買意欲を高める「ブランド・エクイティ(資産)」は、”自由になれる最強の繊維”。ハードコア・ユーザーは、皮膚感覚で、それを知っていた。コマーシャルでは、それを確認するだけで充分だった。あたかも、クルマのコマーシャルは、そのクルマの購買者が見ると言われているように。
1900年代のリーバイスのコマーシャルは、"最強の繊維"を知ることで、好きを上書きするには充分な情報だった。
自由を謳歌するブランド・スピリット
躍動する女性に似合う
ファンにとっては「知りたいことだけが、事実だった」。リーバイスのコマーシャルは、幼児にとってのミルクのように、血肉になった。
ブランドというのは、実は「心の記憶」のような気がする。
企業の上昇志向の高いマーケターは、この記憶を上書きして、新しい心の持ち主を求めようとする。
最近メルセデスが、動いた。彼らのブランディングを、オムニコム・グループに委託したニュースが流れた。オンラインからオフラインまで、巨大な広告グループの対応力によって、生活者のあらゆるタッチポイントにコンタクトし、フォローするホリスティックなブランディングを依頼したようだ。
このような膨大なブランディング作業とはスケールが異なるが、リーバイスも”バリュー・マーケティング”で、ブランド変容を図っているように見える。
2015年 生活価値
2018年 多様な価値
2021年 ポスト・コロナの自由着として
2000年代、リーバイスの「強靭なファブリック」という機能性のコア・バリューに、社会性、多様性、共感性など、時流に合う価値観をリップサービスしている。リーバイスの実態は変わっていないのに、包装紙だけを変えようとしている。
素顔が美しいのに、素顔が見れなくなっている。
今は”プラスティック”の臭いがすると、オールドタイマーはつぶやく。