アバターもエクボ

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自分の分身を持つ日がやってくる。

 

自分のアバターが出社して、同僚やクライアントのアバターと会議する。ズーム会議は、もう古い。オフィスも出社も必要ない。打合せが終わったら、おしゃれでバーチャルなパブで談笑する。

 

「え、アバター持ってないんですか?それじゃあ、会議もできないな」とコロナの”ワクチン差別”をうけることになるかも知れない。

 

休みの日は、ARメガネで、予約したライブハウスの席で、アデルの歌を聴く。明日は、ドローンに乗って、アルゼンチンのイグアナの滝を観るつもりだ。

 

こんな近未来のアバターライフを約束すると発表したのが、元facebook、meta。

 

個人のアバターは、meta社に属するので、リース契約となる。性善の倫理をもち、銃を突然乱射するとか、社会犯罪はしない脳内設計になっていると想像する。

 

体温低めの理性的なアバターを、情緒的な感性人間があやつる事になる。このギャップが、どういう”人格”をつくるか、見ものだ。

 

でも、リアル・ライフを離れて、アバター恋愛は生まれるだろう。アバター結婚も想像できる。

 

しかし、しょせんは、meta社のレンタル分身。危険語ストッパーが監視し、3日間の出稿禁止などを課したりする元facebookだから、秩序を乱さない、行儀のいい分身以外は望めないだろう。

 

ロアルド・ダールの小説の「あなたに似た人」のように、銃をこめかみに突きつけてロシアンルーレットをしているような狂気のアバターは、存在しない。

 

アバターは模範的。変な人は、コマーシャルで会うしかない:

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アバター以前の人間は、味があったと、語り継ぎたい。