メールルームから来た男

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Hal Riney

映画「マッド・マン」で描かれていたように、'60年代のトップクラスの広告会社は、東海岸の有名大学卒業者が就職し”エリート・ヒエラルキー”ができていた。それを支えていたのが、同じアイビーリーグの企業経営者たちだった。

 

ある日、そのライオンたちの前に、ネズミが現れた。

 

ハル・レイニーは、地方の大学を卒業し、陸軍の広報に2年勤務して、広告会社を目指し、憧れのBBDOに就職した。

 

「誰が彼を採用したんだ?陸軍の広報じゃ、うちでは使い物にならないだろう」というわけで、メールルームに配属された。彼には、朝から夕方まで、会社宛の郵便物を仕分け、社員に配達する業務が待っていた。

 

しかし、彼は、トップクリエイターに毎日でも会えることに喜びを感じていた。そして、部屋の壁に貼られた彼らの広告について感想や意見を言った。ついには「あのメッセンジャーボーイ、面白いじゃないか」となって、11年後には、デザイナー、アートディレクター、ヘッド・アートディレクター、クリエイティブディレクターへと昇進した。

 

しかし、”メールルームから来たクリエイティブ・ディレクター”には、周囲は冷たかった。仕事依頼もなく、部下もつかなかった。一人でクライアントを開拓しなければならなかった。

 

'70年のある日、小さな州の小さな銀行に”飛び込み営業”をした。彼にとって幸運だったのは、その銀行が自分達の問題をはっきり捉えていたことだった。「高齢者の顧客ばかりで、若年層の顧客を取り込まないと、先細りになっていく。どうすればいいのか、キミの提案が欲しい」と言われた。

 

「若者には、言葉なんて必要ない、音楽だ。金庫にある金をかき集めて、若者に向けた音楽を作ってくれるミュージシャンを探すべきだ。若者の気分とか夢とかを歌ってくれる作品にすればいい」と彼は答えた。

 

会社に戻って、プロデューサーやコピーライターやデザイナーに仕事を依頼したが「予算は少ないし、銀行の仕事は面白くない、今は忙しい」と、みんなに断られた。

 

孤軍奮闘、彼は一人でミュージシャンを探した。そして、出来上がった音楽"We've only just began"は、後日カーペンターズがカバーして、全米ヒットチャートの1位になった。

 

彼にとって人生初めて企画したテレビCMは、彼と同じようにドキドキしている初々しい”サラリーマン最初の日”を描いた。

 

コピーは、不安いっぱいの人々にやさしく語りかけた:"You've got a long way to go, we'd like to help you get there"(あなたのこれからの道は長い。私たちにお手伝いさせてください)。

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このCMは、効果てきめんだった。今までこの銀行に足を向けたことのない若者を顧客として迎えることができた。しかし、”不良債権”を一気に集めた感じで、債務能力のない借主を増やしたことになってしまった。

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「”不良債権”を集めるこのCMをやめないと、うちは倒産する」となって、全米銀行連盟にフィルム原版を売り渡した。そこで全国民が観ることになり、このテレビCMが皮肉にも有名になった。

 

クライアントが、CMを他へ売り渡す前代未聞のことが起こった。クライアントのニーズに最適のCMをつくれなかった”メールルームから来た男”には、相変わらず冷たい風が吹き続けた。

 

しかし、彼のがんばりを注意深く観ている人々もいた。不遇を囲って6年、オグルビー&メーサーから西海岸事務所を立ち上げて欲しいと依頼された。

 

事務所も軌道にのった後、レーガン大統領の2期目の再選キャンペーンを、彼が担当することになった。現職のレーガンにとって”安定的な明日”を感じさせる表現が求められた。彼のコピー”MORNING IN AMERICA"には、動き出した朝の人々の活力と、新生するアメリカを予感させる2つの意味が込められていた。史上最高の大統領選CMとされ、2001年に広告殿堂入りをした。

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ちょっと見ただけでも、彼がつくった広告は、生活する人の目線に立ち、どこかやさしい顔つきをしている。

 

晩年に制作したGMのサターンのデビュー広告も、主人公はクルマではなく、乗る人だった。

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デトロイトの大量生産ではなく、テネシー州で生まれた人にやさしいクルマとして描かれていた。

 

カンヌ審査委員長の依頼を(1国の広告を21カ国の国際基準で審査されるべきではないと)断った厳格なリー・クロウですら「ハル・レイニーは、広告の見方を変えてくれた天才だ。私にとって、最高のインスピレーションを今も与えてくれる存在」と称賛している。

 

いばらの道を歩いてきた男は、会社のメールルームで働く人々に、ねぎらいの言葉をかけるのをきっと忘れなかったと思う。厳しさの中の、やさしさの大切を知っていたからだろう。