スケッチブックを離さない

 

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Alien

 

体験でみんな知っている、映画は監督で選ぶと、ほぼハズレがない。コーエン・ブラザーズの「ファーゴ」「ノー・カントリー」、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」「シャイニング」、アレハンドロ・イニャリトゥの「バードマン」「リヴェナント」、そしてリドリー・スコットの「ブレード・ランナー」「エイリアン」、その他、クリント・イーストウッドマーティン・スコセッシウディ・アレンリュック・ベッソンなど、監督目当てで観たくなる。

 

そこで、監督の人柄とかに興味が湧く。アートディレクションが素晴らしいリドリー・スコットはどうか。前から気になっていた。

 

リドリーは、ロンドンの難関の王立アートスクールを卒業してBBCにデザイナーとして入った。それから「すぐに独立して、順調にいった」と本人が言うように、とても優秀だったようだ(弟のトニーは、一浪後に兄と同じアートスクールへ)。

 

優秀な美大生兄弟の父は、軍隊の技術者だった。転勤が多く、兄弟はどこへ行っても転校生だった。友達がいない二人の手には、いつもスケッチブックがあり、白い紙に向かって思いをぶつけていた。美大では、毎日真っ白なスケッチブックを開いて、絵で埋め尽くして1日が終わる。「これほど幸せに満ちた素晴らしい時間はなかった」と、リドリー。キューブリックの「2001年」を観て、映画監督への進路を決めた。リドリーがスケッチで描いた製鉄都市が、その後の映画「ブレード・ランナー」の街のモチーフになった。

 

父親が滅多にいない家庭では、いつもイライラしている母親がボスであり、彼女の言葉は常に命令だった。夫は贖罪のように、妻がシャネルやジバンシーが毎週でも買えるくらいの生活費を与えていた。兄弟は母親から美的センスを学んでいった。そして、強い女性への憧れも。だから、リドリーの映画に登場する女性は強い。「エイリアン」ではエイリアンを撃退するシガニー・ウイーバー、「テルマ&ルイーズ」では男をぶっ殺す二人の女性、「G.I.ジェーン」では海兵隊刈りのデミ・ムーアなど。申し合わせたように、弟トニーの監督作品「トップ・ガン」では、強い女性士官ケリー・マクギリスがトム・クルーズの前に現れる。

 

リドリーは、南仏、ビバリーヒルズ、ロンドンに家を持っている。ロンドンの6階建て邸宅に住み込んだハウスキーパーが書いた本があり、リドリーがどんな人か、少しだけわかる。それにしても、個人情報のダダ漏れは、いいのか。リドリーとの契約で、家計費以外はオープンにしていいと、取決めをしていたようだ。

 

全ての家具、水道栓、シャワーの蛇口、家の外のゴミ箱の蓋まで、純金や銅製。「18Kでなくてもいいのでは」と息子に言われ「偽物を周りに置きたくない」とリドリーは答えた。引き出しやクロゼットの取っ手に触れると、指紋がつくので、毎日4時間以上かけて拭き取る掃除専門の使用人がいる。その他、(公園のような広い庭の)庭師、窓拭き、完璧な仕事をこなす王室御用達のペンキ屋が、1年に8ヶ月通ってくる。使用人が家の中に入るときは、汚れを嫌い、日本家屋のように勝手口で靴を脱がす。リドリーの口癖は"spotless(シミひとつない)"が好きだ。

 

ハウスキーパーは「彼は完璧主義者だ」と言い、下着などを部屋に脱ぎ散らかす次男のルークは、そんな父親を「クレージー」と言う。しかし、他人に厳しいだけでなく、リドリーは、長期のロケ先から邸宅に帰ると5分後には、まず勝手口の庭の掃除から嬉々として始め、枯れ葉を集め、4つのゴミ箱の蓋を手で丁寧に水洗いし、金の取っ手をピカピカになるまで磨く。その後、地下1階から4階まで、自分の部屋の家具を移動し、雰囲気を変えて楽しんでいる。他の英国紳士同様、”家は城だ”という考えを徹底しているようだ。

 

ハウスキーパーに対しては、使用人を見下した態度で命令はしない。役割をリスペクトした英国紳士らしい振る舞いだそうだ。住み込みのスペースには、居間、寝室、台所、バストイレが整っていた(多くのユダヤ系の富裕家庭では、使用人に寝室1室がざらだった)。月給は20数万円、有給休暇は年1ヶ月、週休1.5日、病気になれば、国が無料で治療してくれる。文句はない。不安もない。

 

恵まれた環境にいてもハウスキーパーは「リドリーの完璧主義は、頭痛の種」と言っていたが、母親の影響を受けて美意識が高く、少々潔癖症というくらいではないかと思う。完璧主義者は、大げさだ。次男の「オヤジはクレージー」が正しいように思う。

 

興行成績がすべての映画会社には、口うるさい投資家や、強引なプロデューサー、鉄壁のマーケターがいる。30秒の製作費が1億円と聞いて、リドリーが不眠症になった広告業界には、わがままな広告主、プライドの高いクリエイター、データで身を固めたマーケターがいる。批判を許さない完璧主義者には、打ちのめされる環境が整っている。(「雲の形がよくない」と撮影を中止していた、甘やかされていた完璧主義者の黒澤明監督は、ハリウッド映画では降板させられている)。

 

リドリーがどうして”自分の城”を必死に守ろうとしていたのか。滅多に家に帰らなかった(後に船舶会社役員の)父親の轍は、踏みたくないという意志が働いているのではと思う。家庭らしい家庭をつくりたい。毎朝7時20分に起床し、毎夜8時に次男と夕食をとる”家のルール”にも、その意志が表れている。

 

絵の好きだった少年の空想力が、いかんなく発揮されているCMがある。ヘネシーX.Oのテイスティング委員会が作成した"7つの世界へのオデッセイ"(甘美、熱、高揚、刺激、炎、凪、蒼森)が、饒舌に描写されている

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CMの最高傑作と評されるリドリーのアップル「1984」は、目にタコ状態なので、リドリーらしい美意識の「シャネル#5」。”空想をシェアしたい”コンセプトが魅せる:

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母子家庭の二人は、兄弟仲がよかった。トニーが王立アートスクールを卒業した時「BBCには入るな。僕の会社に入れば、1年後には君の好きなフェラーリに乗れるようにしてやる」と言い、約束を果たした。ドキュメンタリー作家になりたかったトニーは(報道のBBCに本当は入りたかったが)、兄の勧めに応じコマーシャルの監督になった。作風が兄に似ている。その一つが、スエーデンのSAAB。放映を見た映画プロデューサーが、トニーを「トップ・ガン」の監督に抜擢した。戦闘機をかっこよく撮影した映像がすでにここにある。

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トニーは、2012年8月68歳、ハリウッド郊外の橋のそばに車を止め、投身自殺をした。目撃者によると、何のためらいものなく、橋からジャンプしたそうだ。原因は不明。冥福を祈念。

        (※参考図書 高尾慶子著「イギリス人はおかしい」、その他ネット調べ)