人は人をどれだけ愛せるか

The Shining

すさまじいピラニアのように、しつこいヘビのように、完成度を突きつめていく。完璧主義者のスタンリー・キューブリックの撮影現場の空気だろう。

 

しかし、完璧主義者についていけない人間が現れると、そこで船は沈む。キューブリックにとって幸運だったのは、彼に浮力を与える人間が現れていた。

 

時計じかけのオレンジ」を観ていた男が、横の席の友達に向かって言った「俺は、この人についていく」。数年後「バリー・ロンドン」のオーディション会場に、彼はいた。そして、”激しく嘔吐する男”の役柄を得た。

Leon Vitali

撮影当日、レオン・ヴィタリは、半生のチキンとトマトを胃に詰め込んで、現場に臨んだが、涙はあふれるが、嘔吐はできなかった。キューブリックが現れ「生卵を飲め」と言った。盛大な嘔吐シーンが生まれた。このちっぽけな端役に全身で挑む男の執念に、キューブリックは心を動かされ、次の映画「シャイニング」の台本を彼に渡していた。

 

そして、1日16時間、1週7日間の労働が始まることになる。クリスマスにキューブリックからヴィタリに電話が入った。クリスマスの挨拶もなく、仕事の話だった。彼は、歯槽膿漏の痛みを和らげるために、ウイスキーをすり込んで外へ出た。

 

ヴィタリの仕事は、キューブリックが撮影で必要なものをすべて調達することだった。加えて、キャスティング・ディレクター、演技指導、監督の前頭葉を刺激する役割など。

 

「シャイニング」の少年と少女のオーディションには、5,000人を集めた。1日100人でも50日かかる徹底ぶりだった。少年役は、ヴィタリが演技指導することで、キューブリックの反対を押し切った。

 

”廊下に立つ少女”についても、キューブリックのイメージよりも、ヴィタリは”双子の少女”が不気味でいいと思い、ダイアン・アーバスの双子少女の写真を示して、即決された。

左©︎Diane Arbus             右©︎The Shining

有能な助手を得たキューブリックは、紙にインクが沁みるように、幸せをゆっくり感じていた。

 

しかし、撮影が始まると、ピラニアとヘビが騒ぐ。ジャック・ニコルソンによれば「1シーンで50回のテイク(撮影)は普通」と言っている。お化けのバーテンダーが微笑むシーンでも、30回。妻役のシェリー・デュバルがバットを振り回して夫と戦うシーンがあるが、127回のテイクに耐えなければならなかった。焦燥、疲労、手に血豆。恐怖を全身で感じていた。撮影中、彼女は、脱毛症になった。

 

役者は、”感情を奏でる楽器”とキューブリックは思っていた。しかし、気に入る楽器は、少なかった。ニコルソンには自由演技をさせ、キューブリックが編集で選ぶ方式をとった。幸せな楽器は、ニコルソンとマルコム・マクダウェル(時計じかけのオレンジ主役)だけという。

 

キューブリックは、ヴィタリにすべてを相談することで、彼を幸せにした。

 

彼の友人はこぞって、キューブリックとの関係を断つよう助言したが、「僕は、スタンリーを愛してしまったから」と言い、1999年3月7日、ほぼ30年間、キューブリックが亡くなる日まで仕えた。

 

キューブリックが目指した世界が恐怖でふるえるエンターテイメント「シャイニング」こそ、監督助手ヴィタリのデビュー作だった。その予告編をもう一度観たい:

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最後に、キューブリックを尊敬した監督たち17名(発言録より収集):マーティン・スコセッシスティーブン・スピルバーグジョージ・ルーカス、ジェイムス・キャメロン、テリー・ギリアムコーエン兄弟リドリー・スコット、ウエス・アンダーソン、ジョージ・ロメロクリストファー・ノーラン、デイビッド・フィンチャー、デイビッド・リンチ、ティム・バートンギレルモ・デル・トロ、ミシェル・マンギャスパー・ノエ、フォン・トリアー。