絵になる男

david lynch

誰にでも貧乏な時代はある。デイビッド・リンチにとっては、フィラデルフィア美大生時代だった。

 

お金はないけど、大きなアトリエが欲しい。そのためには、多少危険なところでも、目をつむろう。夕方になると人がたむろする、あやしい通りに面していたが、キャンバスが立てられる広い部屋に決めた。

 

ドロボウが出るようなところなら、ドロボウは入ってこないだろうと考えた。

 

この考えは、大間違いだった。路上で子供が殺され、窓が壊され、2回も空き巣に入られ、クルマが盗まれた。警察車がスピードをゆるめないでパトロールして行く通りだった。とにかく、夜の物音が一番こわかった。

 

家賃を折半してくれる同級生の女性を、見つけて同居。そんなある日、彼女から妊娠を告げられた。彼の表情がみるみる曇り、貧乏な二人は肩よせあって、どんよりしたと、後日彼女が語っている。

 

リンチもうなされて目が覚めたり、包帯で巻かれた胎児に襲われる夢を見たり、じんじょうでない恐怖を味わった。

 

この体験が、8年後に絶賛されたデビュー作「イレーザーヘッド」に生かされた。

 

リンチは、この映画を”僕のフィラデルフィア物語”と呼んでいる。

 

そして、これが、数々のアカデミー賞を獲得した「エレファントマン」への”カルト映画”の流れをつくった。リンチの映像の原点と言える。

 

リンチは、”絵の人"だ。「表現したいことが、一枚の絵に集約されなければ、撮影に入らない」と言う。例えば、”世界一美しい死体(ローラ・パーマー)”が一枚の絵になって、映画「ツイン・ピークス」の撮影が始まった。映画「イレーザーヘッド」の”悪夢をみる男(スペンサー)”も同様だった:

Twin Peaks                                                      EraserHead

最近、発想する場所は、部屋のデスクではなく、ファミレスのようだ。「かれこれ、7年になるけど、Bob's Big Boyのレストランに毎日通っている。ランチの混雑を避けて、2時半ごろ行く。まず、チョコレート・シェイク。次に、砂糖たっぷりのコーヒー4,5,6,7杯を飲む。糖分の力で、いろいろアイデアが湧き出てくる。メモ用紙は、無数にあるナプキン。騒がしいところじゃないと、頭が動かない」らしい。

bob's big boy restaurant

ファミレスでは禁煙だが「タバコは、大いにたしなむ。健康に良くないと言われ、20年間禁煙したが、家族と一緒に過ごしたり、絵を描くようになった。とても平凡な男になり、弊害が大いにあった」。

 

画家でもある彼は、「フランシス・ベーコンの絵画が最高に好きだ。好みの色は、黒。黒は、深さを持っている。ずっと見ていると、恐ろしいものが見えてくる。そして、なぜか愛するものが見えてくる。夢を見ているような気分になる」。

self portrait of Francis Bacon

リンチは、コンサートやフィルム展示や映画上映できるパリの会員制サロン"Silencio(沈黙)"のコンセプトとデザインを手がけた。「すべての芸術家が自由に集まれるようにしたい」と言う。

night club "Silencio"

音楽でも作詞・作曲を手がけ"Twin Peaks"では、ジュリー・クルーズに"Floating into the Night"の歌詞を提供。漂っている感じのヴォーカルが印象的だった。

Julee Cruise

4度の結婚、1度の同棲。才能に恵まれたリンチが、どんなにわがままでも、女性は、ほってはおかない。

 

映画監督としての美意識なのか、俗に言う「世帯臭さ」を徹底して嫌っていたようだ。イザベラ・ロッセリーニと同棲したが、4年後に破綻。その理由が、なんと”料理の匂い”だった。

 

リンチにとっては、イザベラには主婦より、いい女でいてほしかった。彼女には、キッチンは似合わないと思っていた。ところが、イタリア女性として、男性の胃袋をしっかりつかみたかった。彼女はマーティン・スコセッシと離婚したこともあり、余計に入れ込んでいた。しかし、リンチは衣服が、ガーリックやトマトソースの匂いがするように思え、我慢ならなかった。最後には、リンチがスケッチブックを開いたとき、ペペロンチーノの匂いを感じ、別れのときが来たと思った。

isabella rossellini

リンチを愛していたイザベラにとってはとてもショックだった。彼女の父は、ロベルト・ロッセリーニ、母はイングリッド・バーグマン。名監督と名女優のDNAに恵まれたが、結婚運には恵まれなかった。

 

しかし、イザベラとリンチは、いまだに友人関係が続いている。他方、スコセッシとは絶交。結婚当時「ロッセリーニ監督と近い関係になったよ」友達に自慢していたスコセッシを、彼女は許せなかった。離婚するときの彼女の1番の理由になったそうだ。

 

リンチのあふれる魅力の最後の一滴。

 

自分の映画の”家具”を自作したり、音楽を制作したりするリンチにとって、大好きなコーヒーを作らずにはいられなかった。オーガニック・ブレンドのコーヒー"David Lynch Signature Cup"ブランドは、自然食品スーパーWhole Foods などで販売。当然CMもリンチの匂いぷんぷん。最後にコーヒーを飲んだ夫に妻が「どうだった、味は?」と聞く。「う〜ん、なんとも言えんな」で、終わる。う〜ん、飲みたくなる。

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遊びを仕事にすると苦しいと、人は言う。

 

仕事を遊びにしているリンチは、楽しそうだ。