そして、誰も責任をとらない

彼のオフィスのあるビル

 

まか不思議なプロ野球コーチがいる。

 

この20年、一球団で監督が変わろうと居続ける。

 

独特のコーチの持論を持っているわけでもない。

 

目新しい他人の論文などを見つけ出し、監督の関心を買う。

 

 

この野球コーチを経済学者にすると、竹中平蔵

 

竹中は、森首相諮問「IT戦略会議」や、小泉首相諮問「経済戦略会議」、安倍首相諮問「未来投資会議」「国家戦略特区諮問会議」、麻生首相諮問「水道民営化政策」、菅首相諮問「成長戦略会議」などに参画、森、小泉、安倍、麻生、菅の歴代5首相につかえ、20年間日本の経済政策を提案をしてきた。

 

日本経済の”失われた30年”の政策の責任をとるでもなく、現在も重用されている。

 

森首相時代の「IT戦略会議」は、先進国で最も遅れたデジタル国になっても、半導体事業での撤退を余儀なくされても、委員は辞職することなく継続されている。

 

また、竹中は、歴代自民党首相が喜ぶ経済の料理人として、「法人税引き下げと効果」「プロアクティブなコロナ対策」「五輪開催の経済効果」などを発信し、重宝されてきた。

 

中国のゼロコロナ政策を手本にした「プロアクティブなコロナ対策」は、医療崩壊を叫び、医療機関の利権を守る厚労省の医務技官に拒絶され、事案になる前に葬られた。

 

効果が期待できて、耳目を集める政策を物色している政治家が思わず手を伸ばしたくなる”経済アプリ”を、これまで彼は用意してきた。

 

もちろん、統一教会教祖が提案した「日韓海底トンネル推進委員会」にも委員として名を連ねる。

 

 

最近では、”少子化対策アプリ"をちらつかせている。

 

竹中は言う「フランスにもある考えで、片方だけでも別れたいと思えば、簡単に離婚できるようにすればいい。そうすれば、男女の出会いの機会が増えて、出生率は上がる」。

 

”フランスにもある考え”というのは、”お試し同棲の事実婚”のことだろう。

 

しかし、これは、あくまで離婚率を低下させるために考案されたものだ。

 

見方を変えて、趣旨を変えて、新しい経済アプリをテーブルに乗せる。

 

親の”フリー離婚”で、一番困るのが子供だが、このことはかえりみない。

 

子供を産ませるために利用する危険な疑似餌だ。

 

 

景気に合わせて人員削減できる欧米の人事システムを取り入れたいと、輸出産業支援の要望が経団連から政府にあった。

 

竹中は、日本の職業研修生や、欧州の季節労働移民などを研究し、企業に非常勤社員40%採用を求めた。

 

政府からお墨付きをもらった企業は、非常勤社員を積極的に雇用し、低賃金の労働力を確保できたことを歓迎した。

 

ここで、賃金格差問題を批判されると、竹中氏は、「労働者が働きたい時に働ける、自由裁量型の就業を可能にした」と胸を張って反論した。

 

また、平均賃金が下降すると、「今まで失業していた人々も働き出し、労働者数が増えたので、平均賃金は低くなる」と安倍首相が応戦し、国会で「夫の月給が50万で、妻のバイト月給が25万だと、二人家庭の平均収入は、35万になるのは、仕方ない」と、低賃金化をごまかした。

 

労働人流の活性化で、パソナ代表の竹中の年収は、1億2,000万円になります。彼は「実際の給与は、8,000万円。誰と、何と比べると、多いとなるのか」とくってかかります。

 

イーロン・マスクの年収654億ドル(9兆1,560億円)に比べれば、たいそう安いですね。

 

しかし、”失われた20年”をつくった対価としては、とても高価かなと。

 

 

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影武者の乱

©︎ZAKZAK

昔、黒澤明監督が「影武者」の撮影で、勝新太郎を降板させたことがあった。

 

勝新太郎が、自分の演技の復習のため、ビデオ撮りしたいと言ったのが、理由とされている。

 

黒澤監督の周辺の人々は「役者のぶんざいで」と批難し、代役の仲代達矢でさえ「黒澤組で仕事するなら、黙って従うしかない」と言った。

 

(こんなイエスマンの黒沢組を作っていったから、晩年は凡作ばかりで、勝を切った帳尻を合わせていったとも言える)。

 

しかし、理不尽でも、映画村の”誰がボスか”という掟を守らなかった勝が悪いのである。

 

この日本の封建社会のルールが、私は嫌いだ。

 

アメリカでは、”役者のぶんざい”が、学習する機会が与えられている。

 

リー・ストラスバーグが創設したNYの「アクターズ・スタジオ」に通って、”メソッド・アクティング”という演技法を学習する。

 

本人に潜在する(親友との別離、葛藤、嫉妬、敬愛とか)体験記憶を刺激して、情緒反応を誘発する演技法。

 

卒業生には、マーロン・ブランドポール・ニューマンアル・パチーノロバート・デ・ニーロダスティン・ホフマンジャック・ニコルソンジーン・ハックマンモンゴメリー・クリフトスティーブ・マックイーンなど、名優ぞろい。

 

演じるその人になりきるので、心の中をさらけ出す迫真の演技が生まれる。

 

ポール・ニューマンは、演技している役柄を家庭でも演じ続けるので、”折り合いをつけるのがとても難しかった”と妻のジョアンナ・ウッドワードの言葉もある。

 

警官役を演じていたアル・パチーノが、偶然出会った街中の暴漢を、(何の権利もなく)逮捕しようとする珍事があったそうだ。

 

効果があって、恐怖を感じていた体験をむし返すこともあるため、人によってはトラウマになって、心理療法が必要になった場合もある。

 

この副反応から、危険な演技手法とも認識されている。

 

アルフレッド・ヒチコック監督が、映画「トーン・カーテン」で起用したポール・ニューマンの演技が素直でなく、ひと癖あって、手を焼いたそうだ。

"Marathon Man" ©︎Printerest.com

映画「マラソンマン」で、ダスティン・ホフマンが恐怖におののく心理状況をつくるために、徹夜を続けていることを聞いた名優ローレンス・オリビエが、「演技すればいいじゃないか。その方が簡単だよ」と言ったことが、このメソッドの欠点を表している。

 

「メソッド俳優は、”写真”を提示してくれる。リアルな俳優は、”油絵”を見せてくれる」との批評もある。

 

リー・ストラスバーグの貢献は、もっと評価されるべきだ」と言うアル・パチーノは、『アクターズ・スタジオ』の共同代表になっている。

 

向上心を持った”役者のぶんざい”に幸あれと思う。

 

 

当該ブログは、続行しますが、弟も生まれました。よろしくお願い申し上げます:https://note.com/qphead7

ハッピーエンドはお好きですか

the graduate

広告は、常にハッピーエンドがある物語です。

 

商品という正義の味方が登場して救われる。

 

ハッピーエンドのマーケティング科学。

 

商品が日々生まれるなら、ハッピーエンドも日々生まれます。

 

でも、結末がわかった小説なので、飽きられやすい。

 

クリエイターは、ハッピーエンドに至る語り口をいろいろ工夫します。

 

この広告のハッピーエンドは、飽きない。なつかしんだり、記憶をリフレッシュしてください。

 

商品は、英国の小さなシガー。ふつうのタバコと違って、クセあり。

ターゲットは、諧謔精神を愉しむシニカルな大人です:

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日本のビールや飲料水のCMのように、タレントと飲む環境で(差異化)→うまいで(結)、という起承転結の「起→結」しかない物語は、さびしい。

 

広告は、大人の童話であってほしい。

 

 

⭐️弟ブログもご高覧いただければ幸甚です:https://note.com/qphead7

アンディ・ウォーホールが、いま生きていれば

andy warhole

嫌いな職業に”ユーチューバー”がある。

 

”奇をてらう”ことで閲覧数を増やし、ふたことめには”炎上”。広告を獲得し、お金をもうける。とても、はた迷惑だ。

 

サブカルチャーをつくってみたい”とか、高い志とか意欲が欲しい。

 

世界のユーチューブ・ランキングを探っても、子供や動物が登場して失望する。知性がない。

 

アンディ・ウォーホールのようなサブカルチャーの旗手がいないのが、ユーチューブ文化の悲劇だ。

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アンディ・ウォホールが言っている"あなたは、一般の人々がわからないことをやるべきだ。そこに、実は、良いものがある“You have to do stuff that average people don't understand because those are the only good things.(ユーチューバーは、”わかることばかりをやっている)。

 

アンディ・ウォーホールにインスパイアされることで、youTube時代に新しい光をあてることができると思う。

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一方、映画監督のデイビッド・リンチのYouTubeも参考になります。

 

”奇をてらう”なんて、素人がやるダサいこととの見識が、彼にはあります。

 

リンチは考えた:YouTubeで、見ず知らずの人にいきなり話すには、何がいいかな?

 

天気の話がいい。

 

デイビッド・リンチの”お天気ビデオ”が生まれた。肩に力が入っていない姿勢がいい。

 

しかし、彼は天気予報士ではない。天気図を読み取って、予報は喋れない。天気現況を話す。ロスに住んでいる人なら体感している気温とか湿度とか、空模様を話すだけ。この回は、赤いキャップの瓶を持ったまま、空模様を語る。”ある目的で塗った”とまでは言うが、それ以上は言わない。”早朝のキリやクモは晴れて、午後は青い空と金色の太陽が輝く。いい日を!”80秒程度のビデオが、なんか、気持ちいい。

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”お天気ビデオ”の欠点は、飽きられやすい。あと3本つくろう。1本は"What is David Working on?(きょう、デイビッドは、何しているのかな?)"。

でも、たいしたことはしていない。例の赤いジャーを紙タオルで磨きながら「この紙タオルは、木からできていていい。このジャーは赤く塗ったけど、ある理由がある」と告げるのが”きょう、デイビッドは、何してるかな?”:

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2本目は、"Today's number is"で、ついにあの赤いジャーが登場。中には番号を書いた10個のピンポン球が入っていて、リンチが任意に1個取り出す。”きょうの番号は、#3"と視聴者に告げる。なんの意味もなく終わる:

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3本目は、"David Lynch Theater"劇場もの。内容はよくわからないリンチ風。「人生は、錯乱しているんだから、映画でそれを説明する必要はない」「抽象的なことに個人的な解釈はいらない。私事としてとどめるべきだ」などと普段から言っていることをやっている。

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彼のような知名度がある人だからできることで、普通人がやってもね。と、負け惜しみを言う人もいるでしょう。普通に個性が出れば、サブカルチャーだと思う。

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このブログの”弟ブログ”です。お時間あればご参照を:

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絵になる男

david lynch

誰にでも貧乏な時代はある。デイビッド・リンチにとっては、フィラデルフィア美大生時代だった。

 

お金はないけど、大きなアトリエが欲しい。そのためには、多少危険なところでも、目をつむろう。夕方になると人がたむろする、あやしい通りに面していたが、キャンバスが立てられる広い部屋に決めた。

 

ドロボウが出るようなところなら、ドロボウは入ってこないだろうと考えた。

 

この考えは、大間違いだった。路上で子供が殺され、窓が壊され、2回も空き巣に入られ、クルマが盗まれた。警察車がスピードをゆるめないでパトロールして行く通りだった。とにかく、夜の物音が一番こわかった。

 

家賃を折半してくれる同級生の女性を、見つけて同居。そんなある日、彼女から妊娠を告げられた。彼の表情がみるみる曇り、貧乏な二人は肩よせあって、どんよりしたと、後日彼女が語っている。

 

リンチもうなされて目が覚めたり、包帯で巻かれた胎児に襲われる夢を見たり、じんじょうでない恐怖を味わった。

 

この体験が、8年後に絶賛されたデビュー作「イレーザーヘッド」に生かされた。

 

リンチは、この映画を”僕のフィラデルフィア物語”と呼んでいる。

 

そして、これが、数々のアカデミー賞を獲得した「エレファントマン」への”カルト映画”の流れをつくった。リンチの映像の原点と言える。

 

リンチは、”絵の人"だ。「表現したいことが、一枚の絵に集約されなければ、撮影に入らない」と言う。例えば、”世界一美しい死体(ローラ・パーマー)”が一枚の絵になって、映画「ツイン・ピークス」の撮影が始まった。映画「イレーザーヘッド」の”悪夢をみる男(スペンサー)”も同様だった:

Twin Peaks                                                      EraserHead

最近、発想する場所は、部屋のデスクではなく、ファミレスのようだ。「かれこれ、7年になるけど、Bob's Big Boyのレストランに毎日通っている。ランチの混雑を避けて、2時半ごろ行く。まず、チョコレート・シェイク。次に、砂糖たっぷりのコーヒー4,5,6,7杯を飲む。糖分の力で、いろいろアイデアが湧き出てくる。メモ用紙は、無数にあるナプキン。騒がしいところじゃないと、頭が動かない」らしい。

bob's big boy restaurant

ファミレスでは禁煙だが「タバコは、大いにたしなむ。健康に良くないと言われ、20年間禁煙したが、家族と一緒に過ごしたり、絵を描くようになった。とても平凡な男になり、弊害が大いにあった」。

 

画家でもある彼は、「フランシス・ベーコンの絵画が最高に好きだ。好みの色は、黒。黒は、深さを持っている。ずっと見ていると、恐ろしいものが見えてくる。そして、なぜか愛するものが見えてくる。夢を見ているような気分になる」。

self portrait of Francis Bacon

リンチは、コンサートやフィルム展示や映画上映できるパリの会員制サロン"Silencio(沈黙)"のコンセプトとデザインを手がけた。「すべての芸術家が自由に集まれるようにしたい」と言う。

night club "Silencio"

音楽でも作詞・作曲を手がけ"Twin Peaks"では、ジュリー・クルーズに"Floating into the Night"の歌詞を提供。漂っている感じのヴォーカルが印象的だった。

Julee Cruise

4度の結婚、1度の同棲。才能に恵まれたリンチが、どんなにわがままでも、女性は、ほってはおかない。

 

映画監督としての美意識なのか、俗に言う「世帯臭さ」を徹底して嫌っていたようだ。イザベラ・ロッセリーニと同棲したが、4年後に破綻。その理由が、なんと”料理の匂い”だった。

 

リンチにとっては、イザベラには主婦より、いい女でいてほしかった。彼女には、キッチンは似合わないと思っていた。ところが、イタリア女性として、男性の胃袋をしっかりつかみたかった。彼女はマーティン・スコセッシと離婚したこともあり、余計に入れ込んでいた。しかし、リンチは衣服が、ガーリックやトマトソースの匂いがするように思え、我慢ならなかった。最後には、リンチがスケッチブックを開いたとき、ペペロンチーノの匂いを感じ、別れのときが来たと思った。

isabella rossellini

リンチを愛していたイザベラにとってはとてもショックだった。彼女の父は、ロベルト・ロッセリーニ、母はイングリッド・バーグマン。名監督と名女優のDNAに恵まれたが、結婚運には恵まれなかった。

 

しかし、イザベラとリンチは、いまだに友人関係が続いている。他方、スコセッシとは絶交。結婚当時「ロッセリーニ監督と近い関係になったよ」友達に自慢していたスコセッシを、彼女は許せなかった。離婚するときの彼女の1番の理由になったそうだ。

 

リンチのあふれる魅力の最後の一滴。

 

自分の映画の”家具”を自作したり、音楽を制作したりするリンチにとって、大好きなコーヒーを作らずにはいられなかった。オーガニック・ブレンドのコーヒー"David Lynch Signature Cup"ブランドは、自然食品スーパーWhole Foods などで販売。当然CMもリンチの匂いぷんぷん。最後にコーヒーを飲んだ夫に妻が「どうだった、味は?」と聞く。「う〜ん、なんとも言えんな」で、終わる。う〜ん、飲みたくなる。

www.youtube.com

遊びを仕事にすると苦しいと、人は言う。

 

仕事を遊びにしているリンチは、楽しそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フレッド・アスティアは飽きない

Fred Astaire

「ザッツ・エンターテイメント!That’s Entertainment! 」という映画があった。過去の映画の名場面や名演技が登場する。フレッド・アスティアが、ジャミロクアイの”ヴァーチャル・インサニティ”の天井ダンスをすでにやっていたりして、驚かされる。カサブランカハンフリー・ボガードイングリッド・バーグマンの再会の”時の過ぎゆくままにas time goes by"など、繰り返して何度も観れる、ひたれる。

 

コンテンツのエンターテイメント性がものを言っている。テレビCMではどうだろう。人を楽しませようと、エンターテイメントの真髄を探求している映画監督が制作したCMを集めると、どんな”That's Entertaiment”になるか見たいと思った。

 

 (「ブレードランナー」「エイリアン」「テルマ&ルイーズ」など映像美に魅せられる)

⭐️リドリー・スコットRidly Scott

最高峰のAppleの”1984"は見あきた。リドリーのストーリー・ボードでご紹介:

Apple's 1984

地球という惑星を踏破する醍醐味を描いた、トルコ航空CM。中東のローカルな飛行機会社でないことを知る:

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(「do the right thing」「マルコムX」人種差別に敢然と立ち向かう。ハーバド大学やNY大学で教鞭をとる監督)

⭐️スパイク・リーSpike Lee

CMは面白ければいい!ではなく、表現の必然性を大切にするディレクション。常にマーケティング・ソルーションを提示している。古ぼけた愛着を棄てる!IKEA”のランプ”が彼の代表作。このCMは、脱・コモディティ(日用品)化をアピールするGAP:

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(「セブン」ファイト・クラブ」「ドラゴン・タトゥーの女」など猟奇映画の旗手)

⭐️デビッド・フィンチャーDavid Fincher

ミュージックビデオのディレクターからCMディレクターとして脚光を浴びたデビュー作(1984)全米癌協会

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親友のブラッド・ピットと楽しんだCM。CMに”カルト”は持ち込まないのがモットーらしい:

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(「イレーザーヘッド」「ツインピークス」「デューン」などカルト的映像を追求する”超越瞑想”の信奉者)

⭐️デビッド・リンチDavid Lynch

"カルトの巨匠”デビッド・フィンチャーに対して、デビッド・リンチは”カルトの神”と呼ばれているらしい。神だから、CMでも”カルト”は、つらぬく。”マルホランド・ドライブ”が漂うSONY PSのCM

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SONY PL2でも、リンチはすこやかに健在

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"That's Entertaining CM!"楽しませてくれたCMたち:

●”偉大な惑星の旅”トルコ航空

●"あなたを退屈させないブランド"GAP

●"愛を殺さないで"全米癌協会

●"好きなものは止められない"ハイネケン

●"異次元へようこそ"SONY PS

 

ブランドや商品には、”物語”がある。

 

人とブランドの関係を興味深く語り、楽しませてくれた映画監督たち。

 

広告におけるフレッド・アステアー、エンターテナーだと思った。

 

モノクロームの恋

"パパスカフェ"にはよく行く。光沢のある茶色の陶器タイルの床が好きだ。鼻腔をくすぐる、香ばしいシナモントーストや、形を崩さず、行儀よく口に運びこめるホットプレスサンドウィッチが運ばれてくると、ゆっくり幸せになる。カフェオレの香りが漂う居心地のいい場所だ。

earnest hemingway

さかのぼること70数年、”パパ”ヘミングウェイは、うつ病で悩んでいた。とにかく資料を集めても頭に入らない。

 

自動車事故の負傷以来、ひどい偏頭痛から逃れるために痛飲、そして高血圧、肥満、糖尿病へ。親友の死亡などが追い討ちをかけ、うつ病を発症した。ほぼ3年間仕事にならなかった。

 

しかし、仕事にならなくても困らない。ヘミングウェイの代表作といわれる「陽はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」「キリマンジャロの雪」など、発症前の27歳から41歳までに上梓していた。

 

後年出版される「海流のなかの島々」や「エデンの園」などの掌編もあったが、発表できるものではなく、時間が止まった沼のように続くスランプだった。

 

4番目の妻で、元タイム誌の記者だったメアリは、転地療法を提案し、二人のヨーロッパ旅行が始まった。ベニスに数ヶ月滞在し、ヘミングウェイは18歳の美大生、アドリアーナと出会い、恋に落ちた。黒髪、ギリシャ彫刻のミューズのようだったとヘミングウェイは思った。うつ病が良くなるなら、また年齢差も31歳あり、そのうえ糖尿病でもあり、妻は落ち着いて、状況を見守っていた。

hemingway & adriana ivancich

キューバの別荘に戻ったヘミングウェイは、アドリアーナをモデルにした小説を書こうと思った。そのためには、彼女をそばに置きたいとヘミングウェイが言う。妻のメアリもそこまでお人好しではない。母親同伴で、アドリアーナをキューバに招いた。

 

2階にふたりを住まわせ、彼の仕事部屋を3階にとった。昼間、美大生のアドリアーナは窓からの風景を描き過ごした。夜は、鼻先に人参をぶら下げた馬が、街を案内した。

二人の世界にうちとけないキューバの友人たち

「河を渡って木立の中へAcross the River and into the Trees」を一気に書き上げた。退役将校が、戦争の疲れをいやすために田舎を旅行し、少女に巡り合う。プラトニックな恋を描いた掌編だった。アドリアーナとのベニスでの出会いそのものだった。”ヘミングウェイは終わった”と、批評家から嘲笑とともに酷評された。

 

発奮したヘミングウェイは、8週間で、ピューリッツァー賞受賞の「老人と海」のドラフトを仕上げた。海上の4日間に、老いることの無慈悲さを凝縮し、夢を追う老人の頑強さを描いた。ヘミングウェイが「私の最高の作品」と周囲に語った。

 

老人と海」の原案は、実は、漁師の息子と母の物語だった。しかし、加齢がナイフのように肉体と精神の強靭さを削ぎ落とすことを、31歳違いの女性が気づかせてくれた。これは、すべての男に通じる感覚であり、意識だと思い、原案を棄て、新たなテーマに設定した。

adriana's paint

老人と海」の初版本の表紙は、アドリアーナの水彩画「キューバの漁港」が飾った。遠近法を無視した構図で、ヘミングウェイも上等な絵だとは思っていなかっただろう。しかし、気づきを与えてくれたアドリアーナへの感謝の気持ちを表したかった。

 

出版社が猛反対したことは言うまでもない。その後の刷版からは、彼女の絵画がなくなった。彼女の経歴書には、画家ではなく、詩人と記されている。これはヘミングウェイが彼女の詩集を出版させたことによる。

 

しかし、プラトニックもそうは続かない。アドリアーナと疎遠になったのちも、彼女の兄はヘミングウェイと文通を続けた。同じ大戦で負傷した者同士の絆だった。足の不自由な電気技師にキューバで職を見つけ、別荘に住まわせてくれたヘミングウェイへの恩もあった。

 

こんなに優しいヘミングウェイも、3番目の妻には優しくなかった。パリの浮気が発覚して怒鳴り込んでくる彼女に、特派員が搭乗できる飛行便をとってやらず、ドイツのUボートが出没する大西洋の船便で来させた。3度目の離婚届が叩きつけられた。

 

ノーベル賞が授与された1954年を境に、ヘミングウェイに吹く風が大きく変わり始めた。

 

アドリアーナの存在を消し去り、パリの浮気相手だったメアリとの結婚も8周年を迎えていた。彼女へのクリスマス・プレゼントに、アフリカ旅行を計画した。そして、飛行機事故。ヘミングウェイは火傷、脳から骨髄が漏れ出す負傷を負い、メリーは肋骨2本を折り、もっと大きな病院へ搬送するはずの飛行機が、さらに事故に遭遇。

 

二人は死亡したという憶測記事が出回った。ベッドでそれを笑い飛ばしながら、ヘミングウェイ夫婦は快復していった。

 

その後の計画した釣り旅行では、河岸の薮火災に遭遇。火傷にとどまらず、頭蓋骨骨折、腎臓と肝臓を一部損傷した。さらにスペインの撮影旅行でも飛行機事故に遭い、瀕死の負傷。死ななかったのが不思議なくらいの災難の連続。満身創痍の60歳だった。

 

1960年ごろには、キューバに別荘を持っていたことからFBIからロシアのスパイではないかと疑われ、尾行、全て盗聴されていたことが判明した。

 

もはや米国政府すら信じられなくなり、猜疑心のかたまりになった。アイダホの自宅では猟銃を常に持ち歩いていたという。そして、傷の痛みから逃れるために飲酒を続けた。

 

1961年7月2日、62歳のヘミングウェイは、アバクロンビーで買った銃で、人生に終止符を打った。フィッツジェラルドの「華麗なるギャツビー(the great gatsby)」を読んで記者から小説家を目指した男の最期だった。

 

それから19年後、アドリアーナは、ヘミングウェイへの想いを詩にして自費出版。1983年、53歳、うつ病で自らの命を絶った。