死ぬには、もってこいの日だ①

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人と人が出会って、物語をつくる。それは、ヒリヒリした思い出になることもある。日記につけたくない展開だった。

 

「あなたを、盗人と思って付き合います」初対面のADが、ナイフのような言葉を突き刺してきた。「あなたの脳から全てのイメージを盗み出してやる」私は言わなかったが、思った。なんと失礼な人だ。信頼関係がないと、うまくいかないからと、背を向けることもできた。

 

しかし、今回の仕事は、言葉でなく絵の強い力が必要だと思っていた。声でなく、身体の大きな動きで状況を一変させたかった。だから、ADの事務所に留まった。

 

そして、大きな覚悟もポケットに入れる必要があった。”写真には空気が映る”ということを、ADは信じていた。当時アーヴィング・ペンにインスパイアされ、アフリカのロケで大きなテントを張って撮影し、”アフリカの背景”を頑なに拒否し、恵比寿のスタジオで撮ったと言われても信じただろうポスターを制作した。撮影に立ち会っていたクライアント担当者の責任問題になり、左遷されたと聞いた。

 

 ADの事務所では、スタッフ・デザイナーの些細なミスに、ヒステリックに怒鳴っていた。タモリ倶楽部の”ヒップダンス”を考えた人とは思えないギャップだった。

 

どうして、怒鳴る。瞬間湯沸かし器のように、すぐ沸点に達する。静かに話してミスを正す方法もある。ADは、言葉を使うのが苦手な人ではないか。だから、”絵の世界”に入り込んでいったのではないか。初対面の人を邪推した。

 

そういえば、こういう激情型のカメラマンがいたことを思い出す。彼も言葉で殴りつけた。大きな音がすると思ったら、トレペの筒でボカーンと殴りつけていた。現場は静まりかえり、撮影の新たな注文を拒絶する緊迫感があった。そして、撮影が終わってしまう(という狙いだったのだろうか)。

 

これからは、この凶器の人を、より研ぎ澄ます砥石になるのが仕事になった。自分の誇りもすり減ることを覚悟しなければならなかった。

 

広告は、クライアントにお金を出してもらって初めて成立するメディアだ。そのためには、こういうのやりたいというものを、絵や写真でクライアントに示す。承諾してもらい、お金を出してもらう。しかし、ADは「私のラフは、へのへのもへじですよ」と言って、頑なに拒否した。

 

ADが、クライアントに約束することを渋ったのは、「今までにない表現をしたい」という意欲から発していたようだ。

 

「作ったらイメージが固定されてしまう。スポンサーにそれを期待されると困る。いいものを作るために、撮影現場でのアドリブとクリエイティブを縛りをつけないで欲しい」。もっともらしく聞こえるが、無形の制作物に投資するクライアントにとってみれば、ADのわがままでしかない。

 

「私は、ウイスキー会社のCMで東欧の機関車を撮影した時、大きな操車場の現場の1本の電信柱が邪魔だったので、一晩で撤去させましたよ」もはや、ADのわがまま自慢でしかない。

 

勉強嫌いの子供に、夏休みの宿題を無理やりやらせた気分だった。カンプを3点ほど制作してもらい、クライアントに提示した。クライアントは気に入ってくれた。「でも、これはあくまでイメージです。撮影現場で色々変えたりするノリしろをください」と私は言った。そして、実際の広告表現は、クライアントが初めて見る表現だった。

 

広告商品についてADに説明した「商品は、20代女性の腕時計です。3万円くらいの価格帯なので、本人たちは買えない。新社会人になったり、大学入学時のお祝いに、親やお爺ちゃんに買ってもらう」「だから、贈る方が、安心して贈れる無難で、大人しいデザインになっていたようです。”お嬢様時計”です」。

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「しかし、贈られる本人たちも、本当は気に入ってなかった。そして、スイスのチープで楽しいデザインの腕時計が、彼女たちの気持ちを鷲掴みにして、売上ダウン」「クライアントは、過去の広告イメージにとらわれないで、完全に払拭する広告にして欲しいと要望しています」。

 

「今までの”門限は夕方6時の、自由が丘のお嬢様”ではなく、”渋谷のバーカウンターにいる女性の腕”をイメージにしたい」と目標を言った。

 

要は、商品をモデルチェンジするわけではなく、広告をモデルチェンジする。誰も騙されないだろうと、クライアントも分かっている。選択肢は、コインの裏表しかなかった。売れなくなった商品広告をやるか、やらないか。とりあえずやらない選択肢は選ばなかった。「思い切った表現」が、唯一のソルーションだった。が、答えになっていなかった。

 

「今までにない広告表現を求めたのが依頼する理由」だと、ADを鼓舞した。死ぬまで吸ってますよというマルボローをくゆらせながら、彼は静かに聞いていた。

 

商品のあるブランド広告をつくろうとしている。しかし、トンネルの先にあるはずの光は、まぼろしかも知れなかった。しかも、広告が良くなければ、クライアントは買い取らない。

 

もっと悪いことがある。広告が掲載される前に、商品の売れ行きが悪ければ、広告も終わる。(私に任せていた言うと聞こえはいいが)担当営業も、私から距離を置き始めていたことからも分かった。

 

今回は、谷底に張ったタイトロープの上を歩く切符をもらっただけだった。「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」という池田澄子の俳句がふと浮かんだ。

 

貧乏くじを引いた。しかし、従来の担当広告会社を切る大変な過程を経て、私にチャンスをくれたクライアント担当者に感謝した。

 

これだけ逆風が吹いてれば、逆に怖いものなしだ。アメリカ原住民が不利な戦いに臨む時に「今日は、死ぬにはもってこいの日だ」と言って、自分たちを鼓舞していたと聞く。このシチュエーションに、ぴったりの言葉だった。

 

能天気に言えば、表現の幅は、無限大だった。ある意味、贅沢な悩みとADは戦う事になる。

 

終わりの始まりは、静かだった。

(→次号へ)                     ※事実に基づくフィクションです