愛はパリで

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「広告は愛」と多くの人が言う。

 

企業に好感を抱いている人がいる。商品が好きな人がいる。この絆を強くするのが広告だ。

 

サーディン缶に並べられた小魚のように、広告には愛がいっぱい詰まっている。

 

しかし、愛さえあれば、広告が満たされるわけでもない。そこにリアリティがなければ、共感は生まれない。愛の嘘を、人はすぐ見抜く。

 

なのに、日本の広告主は、タレントをすぐ担ぎ出す。タレントをCMに出演させた瞬間に、リアリティが吹っ飛び、広告が虚構になる。

 

広告は、しょせん絵空事だ。美しい嘘を聞きたがっている。それが人の心理だと言う声が聞こえる。しかし、テレビの前でみんなが”宝塚”を観たがっているとでも言うのだろうか。

 

広告主が参考にする「CM好感度調査」があるが、”タレント好感度調査”と言い換えてもいい。内訳は「タレントが好きで、このCMに好感を持った」と言う理由が圧倒的だ。この”タレント志向”の虚構データを、広告主が容認する限り、日本の広告が、欧米の広告レベルには追いつけない。

 

家飲みに照準を合わせた、日本のビールのCMを見かけない日はない。しかし、どの銘柄にどのタレントかを言い当てられるのは、唯一広告主くらいだろう。広告会社の社員だって怪しい。タレントイメージの差で語ろうとするマーケティング発想の貧困さを嘆く。

 

15秒CMの限界、という言い訳は聞き飽きた。しかし、例外もある。タレントが生きている東京ガスの”家族の絆”が好例。

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「人は特定の対象や考え方に何度も接するうちに好意的な感情を抱くようになる」という心理学者ロバート・ザイアンスが提唱した「単純接触効果」で商品を買ってしまう騙されやすい人々がいる。

 

しかし、乱暴で饒舌な愛に耐えられない人もたくさんいる。独りよがりの商品愛は、押し付けるものではない。広告は必要悪と思っている人でも、そういう広告から離れたがっている。

 

例えば、オリンピック閉会式で放映された”パリ・オリンピック”の予告編が、今まで観てきた、あるいは観させられてきた全てのオリンピック関連のCMを瞬殺したように思う。

 

いい音楽を聴いている高揚感を感じた。きっと、長く覚えているフィルムになるだろう。

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愛がある。リアルだ。スポーツに対するリスペクトがある。(そして、タレントなんていない)