私たちはそれほど馬鹿ではない

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コーエン兄弟の「ノーカントリー」をまた観てしまった。DVDを含めて4度目。殺し屋バビエル・バルデムが現れるたびにゾクゾクして楽しむ。

 

しかし、初見でも楽しめないのが、地上波テレビ。とはいえ、世界は楽しい方向へ向かう。例えば、2019年のnetflixは、世界で1億3千万のサブスク(購買視聴)を獲得している。日本のHuluは、2020年に初の黒字化を果たした。自宅勤務が続くと、もっとファンが増えるだろう。

 

地上波コンテンツは、酷評されても視聴無料。無料にしているのは、コマーシャルだ。だから、コマーシャルは感謝されても、うとんじられる覚えはない。しかし、この無料視聴券が感謝されないには理由がある。

 

”うまい”という基準がないので、どんなに”うまい”と言っても誇大広告にならない。そんなわけで”うまい”のオンパレードが続くビールのCM。高齢者を出して「そんなに高齢者に見えない」と言わせて、人の錯覚を商品の効能にすり替えようとするCM。タレントとCG抜きには、とうてい成立しないアイデアのないCMなど。”言ったことは、全て信じてもらえる”という楽観主義のマーケティングに反省がない。

 

人は、それほど馬鹿でなく、意地悪で、自分の得になる情報しか関心を示さないことは、大人なら誰でも知っていることをつい忘れるマーケターが多いことに感心する。

 

ああ、そんなことあったなあという”体験記憶”を捉えて、”意味記憶”にひも付けして覚えさせるコマーシャルが欲しい。それには、”シチュエーション”をつくって、以下のCMのように、私たちを引き込んで欲しい:

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”どんなに辛いことがあっても、このシリアルがあるから耐えられる”:

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”モテる男のフィアット”が、”女たらしのクルマ”になって悲劇にみまわれる:

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デジタル夫”に復讐する”アナログ妻”のトイレットペパーCM:

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楽しませるコマーシャルは、体験したもので身近に感じさせ、インサイトを捉え、一言しか言わない。こうすれば、覚えられる情報になることは誰でも知っているが、誰もが忘れている。