偶然は素敵③

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©︎usa today

ある昼下がり、人生が変わった男がいた。

 

製紙会社をクビになった27歳の男は、妻にどう切り出そうか迷っていた。自宅に戻り、地下の家事室に通じる階段に座り込んで、洗濯物をたたむ妻の後ろ姿を見ていた。

 

階段上の彼に気づいた妻は「お仕事はどうだった?」と言葉をかけた。「会社を、クビになった」と言うのが精一杯だった。妻はまぶしそうな目で、彼を見上げ「ま、次になにかあるわよ」と言って、何もなかったように、洗濯物の片付けを続けた。

 

「どうしてクビになったの?」「これからどうするの?」答えを準備した質問はなかった。夫が、ひっくり返ろうが、すごいショックをうけていようが、妻は洗濯物を片付ける作業を優先しているように見えた。

 

その時、彼は、妻がとても大きなことを教えてくれていたような気がした。彼女は、失敗を許してくれている。男のプライドという”ビル”が倒れたのに、女の大地からはホコリも立たない。「誰も完璧じゃない。失敗してもいいんだ」ということを知った。

 

人よりミスをしないようにするために教育があると思っていたが、まったく間違っていた。ミスをしない人間に学びはない。ミスを恐れていたら、人の成長が止まる。

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彼が広告会社をつくったとき、数千の押しピンで字を描いた"Fail Harder(思いっきり失敗しろ)"。これを成長するための社是にした。

 

いくら妻に気づかされたと言っても、”大失敗”というギャンブルから学ぶ広告会社もいいが、とりあえず成功イメージの広告会社を、クライアントは選ぶのではないか。隣に"Do It a Little Better(少し良くします)"というスローガンを掲げた会社ができたら、競合の厳しさを知る経営者なら、こちらを選ぶのではないか。

 

この失敗しそうな広告会社の社長は、ダン・ワイデン。彼の父は、デューク・ワイデン。ポートランドの名士で、コカコーラなどを扱う大きな広告会社を経営していた。

 

実は、息子ダンが会社を設立する10年前の1972年に、彼の父デュークは、フィル・ナイトの訪問をうけていた。日本のオニツカタイガーとの契約を解消し、自社製品もなく、ナイトの会計士としての収入を会社経営に充てていた最悪の時代だった。しかし、ブランド名NIKEロゴマークも決まり、それらを世の中に広める広告会社がどうしても必要だった。デュークは「販路をもう少し整備してから、もう一度うちに来てくれれば考える」と、やんわりと取引を断った。

 

それから10年後の1982年、マッキャン・エリクソンで出会ったデイビッド・ケネディと組んでワイデン&ケネディを設立。得意先を必死に探していた二人にとって、話題のワッフル底のスポーツシューズで、勢いをえたポートランドのナイキは、垂涎のターゲットだった。

 

二人は、ナイキのセールス・ミーティングにもぐり込み、ナイトに会社最初のクライアントになってほしいと頼み込んだ。運が良かったのは、デュークに取引を断られた後、依頼したシアトルの広告会社のサラリーマン・クリエイターの仕事に、ナイトはとても不満だった。

 

ワイデンの”失敗を恐れない”社是には、ナイトは1ミリも動かされなかったが、意欲的なところに惹かれた。この後、彼を門前払いした父親を許し、その息子の会社と取引するナイトの凄さを、ワイデンは知ることになる。

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ナイトの最初の言葉は「私は、フィル・ナイト。広告を信じない」だった。

 

2つの理由があった。①私は数字がすべての会計士でもある。広告はただの経費②ナイキをこよなく愛しているセールスマンの私を超えるコンテンツはない

 

また「広告は売れた商品をさらに売るためにある」とも言い、「商品力に勝る広告はない」という持論は、ワイデンに広告を任せても変わらなかった。

 

80年代中盤、ナイトがワイデンに出会って数年後、赤字決算を続けたナイキに奇跡が訪れた。空力テクノロジーを実用化した”NIKE AIR"の開発に成功。3カ国で原材料を調達することが求められるなど、社内でも実用化が困難とされた商品だった。クッションが可視化できる機能的なエアクッションが、バスケットボールはもとより、街のカジュアル・シューズとしても、スポーツクラブのフィットネス・シューズとしても幅広く人気を集め、世紀の大ヒット商品になった。

 

他を圧倒する弾力性のために、NBAが使用禁止措置を発表。CMに起用したマイケル・ジョーダンが、禁止処分を無視し、使用し続けた。このため、試合ごとに罰金を課せられた。ナイキがその罰金を肩代わりした。これもまた話題になった。

 

広告に懐疑的なナイトに、ワイデン&ケネディの制作ぶりは、どう映っていたか。ナイトによると「昼夜時間を問わず、彼らは、徹底的に商品を分析し、探求し、商品インサイト、スポーツマンの人間性、感性なども研究し、テーマとメッセージを導き出していた。彼らのこの態度は、商品開発に挑む我々の態度と共通するものがあり、とてもいいケミストリーだった」。

 

「テクノロジー人間性と結びついたとき、心を震わすようなものが生まれる」とスティーブ・ジョブズが言っているが、ワイデンの制作スタッフはこのことにも気づいていて、ナイキのブランドCMの核心に取り込んでいた。

 

ワイデンが社員に求める”失敗を恐れない大胆な発想”というより、真逆のギャンブルをしない、科学的で繊細な制作態度だった。

 

むしろ、死刑囚ゲリー・ギルモアの"LET'S DO IT(やれよ)"にヒントを得て、"JUST DO IT(やるしかない)"を、ナイキの企業スローガンとして提案したワイデンだけが、”失敗を恐れない大胆さ”に挑んでいた。

 

一方、ナイトにとっては、死刑囚の言葉であろうがなかろうが、的確にスポーツ・スピリットを伝達できればよかった。ナイトが、起業の日に自らに言い聞かせた"Just Keep Going(前へ進むしかない)"行動を喚起する言葉と同様の力を、ワイデンのコピーに感じていた。世界で最も記憶されるスローガンが生まれた。

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マイケル・ジョーダンのレジェンドCMとか、ナイキのブランドイメージを高めたCMはたくさんある。しかし、このナイキのコマーシャルを見たとき、最初の1秒で、最後がわかる、なんと予定調和のつまらない広告だと思った。しかし、スポーツシューズに惹かれたナイトの人生を知ったいま、実はこのCMで走っている少年は、早い走者の背中を見て走っていたナイト自身だと思うようになった。そして、”Find Your Greatness(あなた自身の中に偉大さを発見しよう)”と言うコピーにこそ、スポーツシューズを人に薦めるナイトの気持ちが表されている。

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放映後、肥満児を走らせたCMの暴力だと抗議されたが、少年は「このCMの後、6ヶ月で16キロ減量したけど、僕のライフスタイルは変わっていない」と意に介していなかった。

 

アメリカ文化の心臓には、スポーツの血が流れている」とナイトは言い「プラスティックやゴムの塊の販売によく情熱を燃やせると人に言われるが、タバコやビールの販売だと、私はこうも情熱的にはなれなかった」とも言う。

 

アメリカの問題は、たくさんの失敗をしたことではなく、失敗が少ないことだ」とナイトが言うと、失敗自慢でワイデンが応える。ワイデンはナイトの隣人になり”パーティの距離”になって40年経っている。陽気なワイデンの妻も、ホームパーティに招かれていることだと思う。

 

「ハードワークは必須、いいチームは肝要、頭脳と決断力は貴重であり、結果は運がつくり出す」と、”偶然を幸運に変えられる才能”に恵まれたナイトは述懐する。冷徹なビジネスマンの父親デューク・ワイデンに門前払いされながら、熱意の息子、ダン・ワイデンを受け入れ、幸運を呼び込んだナイトには”セレンディピティ”がついている。

 

      (※出典資料は、"Harvard Business Review""Washington Post"など)