偶然は素敵①

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Phil Knight & Bill Bowerman

「ふとした偶然をきっかけに幸運をつかみ取る才能」を”セレンディピティ”という。(※wikipedia)

 

セレンディピティの男がアメリカにいた。そして、彼は、スポーツシューズをこよなく愛していた。

 

1950年代のアメリカでは、”走るのは、急いでいるとき”であり、”健康のため、運動のため”という理解は、まだ根づいていなかった。

 

街を走る人に対しては、(そんなに急いでるんなら)「馬を買え」と家の窓から罵声。いったいそんなことをして何になるんだというのが、ふつうの考えだった。ましてや、下着のようなパンツ姿で街を走っていたようにも見え、街のお母さんたちは、子供の目を手でおおっていた。

 

そんな頃、オレゴン大学の陸上部にいたのが、フィル・ナイトという学生だった。高校生の頃、8キロ走ってバイト先に通っていたこともあり、走るのが得意だと自分では思っていた。しかし、きゃしゃな体つきの彼は、体力差のある競争相手には、どうしても勝てなかった。

 

そんな彼を救ったのが、ユニークなコーチ、ビル・バワーマンだった。走るフォームよりも、シューズの改良に熱心に取り組んでいた変なコーチだった。選手に違うシューズを次々と履かせて、実験を繰り返していた。体格に恵まれていなかったフィル・ナイトは、彼のギア改良に興味を持った。

 

大学卒業で、”趣味の走り”は終わった。ジャーナリズム学部を卒業したこともあり、父の経営する地方の小さな新聞社へ入ることを考えたが、決心がつかず、1年間の兵役に。

 

その後、彼の心に引っかかっていたものを整理するために、スタンフォード大学院のビジネススクールに入り、論文を書いた。(当時は、ドイツのアディダスが、スポーツシューズの世界を席巻していたこともあり)「日本のスポーツシューズは、(世界最高峰のドイツのカメラを駆逐したように)、ドイツのスポーツシューズを追い抜くか」という彼の推論が、人生を決めることになる。

 

ナイトは、バワーマンが求めているものは、この論文の中にあると思った。誰の手にも入る廉価で、最も優れたスポーツシューズを広めたいと、ナイトは考えるようになった。

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海を越えた日本にも同じ思いを持った鬼塚喜八郎という男がいた。日本にはスポーツシューズ製作のノウハウもなく、その分、彼の創意工夫が全てだった。ゴム工場で働き、ゴムの特性を学ぶことから始めた。

 

1908年、コンバースが世界初のバスケットボールシューズを作り、成果をあげていた。鬼塚は、そのことを知ってか知らずか、日本独自のものを作ろうとしたようだ。フロアへのグリップ力を求められる動作を可能にするため、きゅうりの酢の物のタコを見て、靴底に吸盤をつけることを考えついた。しかし、吸引力が強すぎて転倒・負傷者が続出して失敗。ある時、乗っていたタクシーが急ブレーキをかけて止まった瞬間、鬼塚はひらめいた。自動車ショーに出かけ、車のタイヤの模様「煉瓦積みブロック」パターンを靴底に取り入れて、日本初のバスケットボールシューズを開発。50%の市場シェアを獲得した。

 

1953年には、”足の豆ができて一人前”と言われていたマラソンランナーの足の豆をなくすために、発熱した足をクールダウンする穴あき靴「マジックランナー」を考案。1956年以降、日本五輪の公式シューズとして、オニツカタイガーは認定された。

 

1962年、ナイトは、日本に旅行して、吸い寄せられるように鬼塚喜八郎のいる神戸に向かった。そして、ドイツを追い抜くmade in Japanだと確信した。最良の、そして誰でも買えるスポーツシューズを求めるナイトの情熱は、鬼塚喜八郎を動かした。初対面のアメリカ人に、西海岸の販売権を与え、ナイトが求める体格のいいアメリカ人仕様の製品を新たに作ることを約束した。

 

最初の会議で、オニツカタイガーの役員が「ミスター・ナイト、(まさか、ウチから輸入販売されるのに個人の資格でおっしゃっているわけはないと思いますが)あなたが所属する会社名を教えてください」と問われ、とっさに「(かつて出場した競技会の名前)ブルーリボン・スポーツ社」と嘘を言った。米国に帰って、ナイトは、早速Blue Ribbon Sports社を登録することになる。

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バワーマン、鬼塚、スポーツシューズに情熱的に取り組む世界でも稀有な二人。探してもそう簡単に遭遇できるものではない。

 

偶然を幸運に変える”セレンディピティ”の才能を、ナイトに感じる。

 

しかし、偶然を幸運に導く力は、自然に湧き出るものではない。髪をかきむしり、考えて、考え尽くす不断の努力が、幸運を運んでくれるものではないか。

 

しかし、努力を重ねたナイトは、その才能に気づいていない。努力の成果だと思っている。”セレンディピティ”とは、実は「よみ人しらずの短歌」のようなものだと言える。

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さて、口から出まかせのBlue Ribbon Sports社に、鬼塚喜八郎から靴が届くだろうか。世界一への道がどう拓かれるか。

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                      (※記載資料は、インターネット調べによる)